226号-2016.5.25

[ 2016.5.25. ]

226号-2016.5.25

社内には様々な書類がある。その一つに「始末書」がある。当の本人にとっては、あまり書きたくない書類だが、その会社なりの理由で書かせている。
当社では「始末書」を再発防止、本人の深い反省のまとめとして書かせている。


国語辞典的意味では「始めと終わりの顛末」とか、「締めくくり」「片付け」とある。そこにあるように、事情経過説明だけでなく、事の起こった原因、状況、その後の措置、周りに影響する効果、防止策、その有形無形の損害等広範囲にわたる見通しに立たなければならない。それを基にして、その社員の上司は点検しなくてはいけない。その上で当の社員と今後どうするのかを考えなくてはならない。話の中では反省もあるだろうし、予防策もある。そうでなければ、「締めくくり」という総括ができない。そのまとめが「始末書」という公的書類になるはずだ。

そもそも社内の書類で、公的な書類でないものはないのが普通だ。社外に出す、出さないは関係がない。この辺を錯覚している社員がいる。社員という身分で起案したり、提出する全てのものは個人の所有物ではなく、会社という他人の財産である。まして始末書は、事の性質上当然社外秘である。だから当社ではその社員が在籍している限り、総務で全てを保管している。

誰でも事が起こればまず自己防衛本能から正当性を意味づける。だから、懇々と順を追って聞かなくてはならない。たかが一枚の始末書というなかれ! その中にはその会社のシステム、組織、労務管理、指揮命令系統、製品上のノウハウや問題点が読み取れるからだ。
話はそれたが、公的書類は『それなりの意義とエチケット』が必要だ。

内容は勿論、反省の色が読み取れるものでなければならないし、書き方も基本は自筆、手書きが普通だろう。最近若い社員では字が汚いからとか、読みやすいとかで、パソコンソフトのワード使用が増えている。ビジネス文書やプレゼンでは、単一、反復なシーンが多いのでワ-ドが使用される。その合目的性から言えば当然だが、全てに当てはまるわけではない。始末書をワードで書き、起案者の名前もワードであれば、例え捺印がされていても非常識の誹りは逃れないだろう。今回は新卒生だったが、周りの先輩社員も黙認ではなく注意指摘するべきである。先輩社員がそれを知らないなら、より非常事態だが・・・。

 そもそも、「始末書」は詫び状、懺悔の意味もある。二度としないという決意表明である。非常な決意を持って出すものが始末書である。「不始末」という言葉があるように「だらしないこと」「他人に迷惑をかけること」である。当社では「不始末」をしたから「始末書」を書かすのである。ワードで書くということは、コピーペーストが可能であり再犯を予想して出すものではない!ましてワードであれば、最悪の場合、案件、日時、提出者の名前を変化させるだけで同文での再使用も可能だ。それでは「始末書」の言葉で、これで終わりだという意味も決意も汲み取れない。
本来は武士なら「切腹」だが、相手の判断にその身を託すという意味である。今でも「企業戦士」という言葉は残っているはずだ。「士」は侍の意味である。「学問・道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物」との意味もある。いずれにしても、禄を食んでいる以上「通常の一般人よりも要求度が高いレベルにある人」である点は間違いがない。「始末書」ごときでは相成らんとなれば「その後の音沙汰を、首を洗って待つ」という状態だ!如何様な処分でも甘んじて受けますという姿勢だ。

上司であるにもかかわらず、そういう意味も知らず、そのまま承認する事があれば管理職は務まらないし、上司でもない! 部下の教育指導もままならないからだ。今回は「自動車の自損事故」だった。しかも一年の内に2回の自損事故だった。事故の態様はいずれも後方不注意による事故だった。幸いにも人身事故ではなかったが、その可能性は否定できない。

今年の新卒も毎年の例に漏れず、「ペーパー・ドライバー」が多く、入社に必須資格だから取りあえず免許を取ったレベルだった。我々の時代は車を運転したくて運転免許を取得したのだが、時代の隔世感は強い。車の販売台数が低迷しているのは、少子化だけでなく若者が車を必要としなくなったのも背景にある。カップルが二人きりになれる場所が当時は車が最右翼であったが、昨今ではその場所は多様化しているのも理由の一つであろう。

昨年一年間では8人の新卒中、自動車事故を起こしたものが4人という驚愕する結果になった。勿論、営業社員で採用した以上、運転は避けられないので早速、「自動車学校でのマンツーマントレーニング講習」を実施した。その内容は「技術レベルのチェック」「ドライビングトレーニング」の終了後に運転習熟度、技能レベル評価があり、社内でその適否を参考にするというものである。 その出費は当社規模の会社では大きな負担ではあるが、「お客様を乗せる」という大事な使命がある。そして案内の途中は不安を生じないように、快適な案内を心がけなければならない。運転テクニックだけではなく、物件の事前調査や案内ルートの事前設定も必要になる。

かの例に見るように、後方不注意は「あせり」が理由の殆どだ。まして年に2回も後方不注意で起こした事故なら、当然その始末書にはその理由があるはずだ。以前とは違う部署に配属替えとはいえ、同様の書類は回覧している。
見る、見ないは別に話は風聞でも聞いているはずだが、そのコメントもない。知らなかったでは済まされない怠慢である。組織の長としては適格を欠くと言わざるを得ない。まして高々130人の社員数だ、ゴシップはアッという間に広まるが、こういう事案は自分の立場に置き換える事ができない。今回は「自損事故で人身事故ではない」点で報告を受けた時に、その上司は「そうか、仕方がない!今度は気をつけろよ!始末書でも書いておけ!」位の指示であったと推測される。単なる社内の事後処理レベルで済ませようと安易に考えていた節もある。

仕事上のトラブルは全て教育の生きた好材料であるという意識がなかったに違いがない。会社の貴重な財産を毀損した点も見逃している。より大事なことは顧客に対する安全をどう考えているかが、抜けている。

当社も中途入社組が半数近くいるのに、この手の指導や懲罰になると誰もが下を向く。中途入社の経験が生かされていないのだ。前の会社は「これこれ・・だった」と後輩指導に生かされない。大手企業のような浮沈戦艦や空母なら、これしきのことは課や部の問題として処理されるかも知れないが、当社では企業の存亡にかかわる問題である。

大手企業以上に「その事故に対しては厳正な処分」が求められる。しかし、今まで社内規定では「新卒は2回まで」「中途組は1回まで」自己負担なしとし、その負担も免責額だけとしていたのが、安易な姿勢につながったかもしれない。それと共に危惧されるのは仕事上のミスにつながることになりかねない点だ。規律が緩むと全てに影響する。社長以下リーダー全員が襟を正さないと組織は簡単に崩壊する例に事欠かない。

                                                                                         社長 三戸部 啓之