228号-2016.7.25

[ 2016.7.25. ]

228号-2016.7.25

言うまでもなく、少子化で賃貸市場は毎年縮小している。更に2020年からは団塊の世代が後期高齢者に入り2038年には多死社会が到来する。少子多死社会という未曽有の人口激減社会に入る。つまり、日本の市場は椅子取りゲームになるのだ。誰かがその椅子をとれば誰かが座れなくなるゲームだ。

我社に置き換えれば、管理物件を取得すれば、以前の会社の管理物件がなくなるという事になる。それが続けばいずれその会社はなくなる。会社だけでなくその会社の社員も解雇され失職する。存続できる条件は、その会社や社員にないものを持っている事だ。もっと言えばそれだけでは足りない。それをどう自分でオリジナイズして提供できるかが問われている。与えられた仕事を粛々と処理しているだけでは、いずれその仕事もなくなるのだ。

ここに一つの例がある。我社のような中小企業の不動産会社が加入する宅建協会からのDMがある。そこには我々の使用している管理ソフトの内容が「契約管理プラン」「収支管理プラン」「クレーム管理プラン」で月額使用料11000円だ。勿論その内容は当社で現在使用している管理ソフトから比べれば、単純で応用範囲も狭い。しかし、高額な金額からすれば当たり前だが、果たして貸主はそのレベルを要求しているか否かは不明だ。単なるソフト開発会社の口上に乗せられて過剰品質になっているかもしれない。

しかも、内蔵されたアプリも使用されているのは2割にも満たない。コスパからも問題だ。

まして、人的入力ミスで誤送金やデータが間違っていれば信用はなくなる。バグることもある。それをソフトのせいにすることもできない。利便性を高める日常業務上の改善は一項目数十万にもなる。人的ミス防止機能はおそらく百万単位になる。導入して5年経つが初期のような問題視もされなくなってきた。業務の慣れもあるだろう。単なるルーチングに過ぎない結果になっている。

この卑近な例が携帯電話の「NTTドコモ」で、性能的には世界最高級だったが過剰機能で価格も高かった為、フィンランドのノキアにトップシェアーをとられ、「ガラパゴス化」という不名誉を与えられた。そのノキアも今や世界シェアー5位にも入らない。台湾・韓国のメーカーに席巻された。

 5年前までは街の不動産屋は「管理ソフト価格が高く」管理ソフトを使用している会社というだけで差別化が図られた。それだけの投資でき、有能な社員がいてきちんと管理ができる会社だという評価だ。これからは、そのレベルでは差別化は図れない。街の不動屋がそのレベルに達しているからだ。機械的な定型的なテンプレート文書で出している。無機質な文書では感動もない。人間が介在している気配がない。そこでは顧客に対する温かさがない。思いやりがない。あなたのパートナーであるという気持ちがない。ここに一工夫が必要になる。その辺の気づきと改善策があるか否かが、管理部門が存続できるかが分れる。それが「管理部門の営業支援」となるわけだが、国語辞典的意味にしか理解していないことが問題なのだ。「忙しい、時間がない!」は思考停止、判断放棄の言い訳に過ぎない。顧客から「こういうことができないか?」「こういう表示ができないか?」という要望に「当社のソフトではできません!」というレベルの対応ではないか。これでは顧客からの信頼や評価は得られないが、自問自答してほしい。そして今一度顧客にとって必要なものを提供しているのか?考えてほしい。

現状のままでいる限りは当社の管理部門は淘汰されていく。他の非営業部門の社員も同じことがいえる。他のライバル会社と比べ、何が優れているのか? 何が売りなのか?

松下幸之助が言ったように「知恵ある社員は知恵を出せ、知恵のない社員は汗を出せ、汗も出ない社員は去れ!」が差別化なのだ。成果は問わず、顧客からも評価されなくても、決められた時間だけ労働のふりをするだけで「雇用が守れる社会」になった。権利はあるが義務がない。憲法にも勤労の義務はあるが勤労の権利は定められていない。解釈論は別にして権利と義務は裏腹という常識が通用しない社会になった。「RIGHTS」を最初に翻訳した福沢諭吉は当初「権理」と訳した。「理」はことわり、道徳という意味だった。それが「利」になり利益の意味が強くなった。欧米のように「権利闘争」で勝ち取った歴史的背景がない日本では、「理」であった方が誤解がなかったといえる。キリスト教的言えば「労働は神から与えられた罰になったのだ!」欧米人のように早めにリタイアし老後を自由に生きる事が理想になった。しかし、年金財政の破たん懸念から定年も60歳、65歳と伸び70歳も最早そう遠くない。室町時代の信長が「敦盛」で舞った「人間50年~」時代から30年以上も生きなければならない時代になった。定年後も20年は生きなくてはならない。「老後破産」「貧困老人」の多発に警鐘がなされている。

年金だけでは最低限の暮らしもおぼつかない時代が到来するのだ。それを回避するためには現役時代に「自らの人生をかけて死に物狂いで自己スキルを磨き、それが顧客に評価され、企業になくてはならない人材」にならなくてならない。

「オンリーワンではなくナンバーワン」を目指さなくてはならない。

「自分だけが持つ強み」を作るのだ。そうすれば豊かな老後は間違いなく保証される。

競争社会は全員が生き残れる社会ではない。勝者と敗者ができる社会だ。生き残るためには、ライベルよりも優れたものが必要だ。なければ必死で作るべきだ、時間労働者ではなく成果を作れる労働者がこれからは生き残ることができる。与えられた作業ではなく、自ら成果を作り出す仕事が企業からも顧客からも求められている。グローバル社会は労働単価で区分される社会でもある。

誰でも代替できる能力しかない社員は低賃金で処遇される社会である。商品と同じで「付加価値のあるものは価格が高くなり、汎用品はディスカウントの対象品だ。言葉を換えれば「ブランド価値」ともいえる。昔、高学歴・高収入・高身長が「三高」というブランドになったが、今は、「不景気に強い」「結婚生活に強い」「身体が強い」という『3強』らしい。見てくれよりも中身が変化している。女性特有の鋭い嗅覚が現れている。

今後日本でも年収600万以上が1%、年収400万以上が25%しかない所得層が到来するデータがある。かつて専業主婦だった65歳以上の単身女性の50%が貧困層である。

一度無業になった女性が正社員になれる確率は25%、年収300万以上を回復できる人は12%という。男性も同じようなものだろう。企業の寿命が30年といわれる昨今、スルメのようにいつまでも長持ちする相手が必要だということだ。

この現実を見れば、今何をするべきかが明確になる。会社でも「売り物を作れ!」個人でも「私のセールスポイントはこれだ!」というものが必要だ。

SWOT分析という有名な手法がある。自社の強み(自分の長所)、自社の弱み(自分の欠点)をマトリックスで整理する方法だ。そして強さを伸ばし、弱さをカバーする方法を考える。

そこで「誰が」「何を」「何時までに」「何処で」「どのように」に計画に落とし実行するのだ。

一般に20代は無我夢中で吸収する時期、30代はそれをカスタマイズする時期、40代はそれを専門化する時期、50代はそれをアウトプットする時期といわれる。

それに応じた人生設計をしている社員は何人いるだろう! 人生にも賞味期限がある、残された時間はあまりない!

                                  社長 三戸部 啓之