229号-2016.8.25

[ 2016.8.25. ]

229号-2016.8.25

営業3「営業は仕事を作る」のが本来の姿だ!
仕事を作るとは・・・「自ら顧客を開拓し受注をする」事を言う!

「開拓する」とは販路を作るという事だ。「受注する」とは会社に利益をもたらす機会を作るということだ。この2つができないと「営業職」とは言えない。しかし、殆どの営業ができていない。

 

「利益をもたらさない受注」は、当社では「仕事している」とは言わないし、単なる自己満足に過ぎないと評価される。更にその人件費や間接経費を入れれば、やらないほうが良い仕事だ。迷惑な仕事になる。ここで勘違いして欲しくないのは、数字があるか、ないではない事だ。無償の行為もある。信頼という預金を獲得することもある。会社の利益はお客様の評価の裏返しだ。お客様の利益を最大限確保することに邁進すれば、間違いなく将来実となり果実となる。かって「農耕型営業」が全盛の時代があるが最近は余り言わなくなった。プル営業ではなくプッシュ営業が主体になってきた。そこでは耕して時期が来るまで待つという姿勢ではなく、未熟でも食べられるものは食べようという姿勢だ。

種をまいて育てる農耕型ではなく、狩猟型、焼畑型営業が全盛である。その結果が消費者契約法に結実した。法自体の内容は別にしても近代法の意思主義の大原則を変えるものだが、現実には営業に支障が出てきた。自称弱者が逆手にとって自己都合の論理で反論してきたからだ。営業にとってはより説明義務が課せられ、立証責任が求められた。口先の営業ではなく書面化し、知るべき事実は包み隠さず納得するまで説明することが必要になった。更に明確な意思表示は沢山の書面に捺印することに示された。これが企業側のリスク責任を回避する事になった。捺印しない事項は説明していないことになったから、どれもこれも捺印だらけになる。それだけコストはアップするが最終的には消費者が負担することになる。

話がそれたが既存の販売ルートは先輩たちの苦労の結晶だ。それを任された社員は、そこから滴りおちた雫を舐めているだけでは評価されない。過去の会社の財産で食べているだけに過ぎないのだ。だから、いずれ枯渇する。ルートを維持するだけでも気苦労は多いが、そのルートをなくせば、理由の如何を問わず失態になる。だからルートを維持するだけでなく、新規開拓を続けなければならない。新規開拓とは自ら販促を実施、飛込みをし、見込み客を作る事である。それを営業活動という。

資料を整理したりプレゼン資料の作成は「営業準備活動」といい、「営業活動」とは言わない。往々にして、35歳を超えると益々営業活動をしなくなる。営業準備活動や事務処理業務で「やっている振り」をする。見分けは簡単だ!社内滞留時間が多いほど営業をしていないことになる。

どこの会社でも、この「営業活動」をいかに増やすかにかかっている。現状営業活動は10%も満たない! つまり、一日たった45分だ。それ以下の社員もいる。一日に顧客との面談する件数が1件にも満たない時間だ。これでは成果は得られない。それを最低50%にする事を考えよ! 3時間が目安になる。一日6人と面談すると、月換算では新規顧客と120人、長短見込客と2人、続ければ間違いなく成果は上がる。そうすれば、どうにか何処でも使える営業に成れる!アプローチスキル・クロージングスキルが磨かれるのだ!

小職の例で恐縮だが、前職のDハウスで1ヶ月15棟の住宅受注をしたことがあった。35年前だが多分この記録は破られていないはずだ。又年間、アパートを平均して10棟受注していた。横浜市港北区太尾町で13棟造った実績もある。一営業としての期間は3年しかないので合計受注は50棟である。

答えは簡単だ。全戸軒並み飛び込んだのだ。店舗などは繁忙時間に飛び込んだこともあり、怒鳴られたことも多々ある。いろいろな貴重な経験が知恵を得、工夫が生まれた。シークレットな地域情報も入り、益々貴重な存在になった。

金融機関やJAにも重宝された。地主のつながりや、本家分家の掌握も完全になった。売込みではなく、情報を収集する事で、適確なソリューションが可能になってきた。それぞれの顧客の事情にあった提案が可能になったので、失注がなくなった。

営業に好循環サイクルが出てきたのだ。つまり、その地域で「Dハウスではなく三戸部」という人間が浸透してきたのだ。こうなれば強い。今で言う「地域密着営業」である。自ら営業データを取っていた為、どこへ転勤しても500件面談→7件の有効面談→3件の企画書提案→1件の受注というパターンができた。紹介も契約時に必ず一件をお願いした。そういう積み重ねが実績につながった。この地に着いた自信が組織内でも磐石なものとなった。部下や後輩に具体的に示す指針ができたのだ。

しかし、上司には嫌われた。つまり、調子のよさで昇格した上司には指示を無視し反発したからだ。尊敬できる上司もいた。34歳で課長になった。部下は係長2名を含み、12名だった。若かったのだ、それだけでは組織内では出世はしない。40歳課長職営業所長どまりでサラリーマン人生は終わった。その自信がアーバンの起業につながった。月一件は受注できるという自信だ。独立しても食べていけるという自信だ。営業は自分との戦いだ!サボるも自由だし、自分を甘やかすのも自由だ。私も大いに遊んだ、しかし必ず部下と一緒にだ。自分だけではしなかった。結果は間違いなく自分自身に降りかかってくるし、組織の箍も緩む。その時間が長ければ長いほど、復調する時間が倍以上かかる。

 男子営業は35歳定年説を唱えている。ここまでに自己に相当負荷をかけ続けないと、これ以上は伸びないということだ。20代は色々と誘惑もある、遊びたい時期でもある。しかし、この時期を自己研鑽に費やした社員と適当にごまかしてきた社員とは、回復できないほどの乖離が出てくる。この時期は「馬鹿になって仕事に没頭する」ことだ。その結果が30代前半に出てくる。その経験を踏まえて「マネージメント」を学ぶのだ。なぜなら、体力知力とも本人の自覚とは別に間違いなく劣化してくるからだ。個人プレーより組織プレーに転換する機会なのだ。ベトナム戦争時、ウエストポイント士官学校出の若い士官は敵より味方の射撃に注意したという。つまり、歴戦の下士官が経験のない上官の命令には命をかけられないので、戦闘時に後ろから上官を射殺した例が多数報告されているからだ。

勿論、抜群のスキルがあり、個人プレーの方が、よりパフォーマンスが発揮できればそれも選択肢に入る。ただ通常人は難しいので、マネージメントを訓練したほうが良い。

事務職と違い営業職は採用の見極めが難しい。いいと思って採用してもそのとおりの結果が出ない。「使えない営業」「仕事をしない営業」がいくらいても、負の財産になるだけだ!そのような社員でも今は馘首できない。だからリーダーはそのような社員を育成しなければいけない。社員を育成できない者はリーダーとは言わない。たとえ自分の実績がいかに作れてもだ。リーダーはその手の社員に「引導を渡し、適性のある職場」へ誘導するのも務めだ。勿論、その中に転職もある。闘争心のなくなった営業社員は「宦官」と同じだ。戦線離脱を勧めるべきだ。引き止めるのはそれだけ責任が重い。競合他社を見よ!モット自分を鍛えよ!ライバルを意識しない社員は「闘争心のなくなった」も同然で、営業組織からは排除するべきなのだ。「腐ったりんごは同じ籠から出さないと全部が腐る!」この緊張感が組織維持には必要なのだ。早めにその適性にあった職に転換させるのも上司の務めだ。

これから生き残れる社員は何が必要か?自ら「仕事を取れる」「利益を作れる」社員しか、どこの会社でも必要とされない。「家族に責任が取れる」「家族を幸せにできる」社員が必要とされるのだ。それを「生活力(生命力)」のある社員」という。もう一度、自分の人生をよく考えることだ!「人生とは恐ろしい冗談だ!」

社長  三戸部 啓之