会長の独り言

会長の独り言

[ 2020.12.7. ]

281号-2020.12.25

コロナウィルス感染拡大のため、本年6月に代表取締役を辞任する予定が、12月1日になった。

後任はアーバン企画開発 三戸部正治(長男)、アーバン企画開発管理は三戸部浩史(次男)が引き継いだ。

 

2人とも社歴は其々22年と15年で問題がないが、マネージメント力に不安が残る。しかし、親から見た愚息なので辛口かもしれないが、何時までも今の位置に連綿としているわけにはいかず、時機を見て後進に道を譲る事が必要と判断した。この最悪の時期にという意見もあるが、この未曽有の危機にバトンタッチする事が安穏とした時期にあるよりも数段苦労する事は間違いがない。それが企業にとっても本人にとっても強靭な体質を作る事になると思うからだ。

もとより、院政を敷くつもりはなく、第一線を退いたからと言って無関与ではなく大所高所から最低限のアドバイスはするつもりである。大久保彦左衛門のような天下のご意見番なら申し分がない。

当社には崎間専務、樋口専務という経験と実績がある立派な補佐役が存在しているので、得意先への危惧は殆どないと考えている。かくいう私も彼らに何度も助けられた。思えば33年間の社長業であったが、起業当時を振り返ると今や隔世の感がある。この機会にざっと当時の軌跡を描いてみたい。

 

当業界は不動産情報というデータを扱う業種の割には後進性が顕著で、仲間内にしか情報を共有しないアナログ的閉鎖性が一般的であった。特に売買仲介がそうだが、その仲間に入らない者はビジネスのチャンスが全くない。アウトサイダーは買取り分譲をやるか賃貸仲介しか生きる道がなかった。

買取りも優良物件情報は仲間内しか出回らないし、資金と販売力も必要だった。賃貸も地元業者が物件を押えていた為、元付にはなれず客付け仲介しかできなかった。しかし、様々な障害はあるとしても消去法で行けば当時は賃貸の仲介から入らざるを得なかったが、そのままではビジネスチャンスは限りなく少ない。

当時は異業種から参入する業者は少なく、殆どが地区の不動産会社からの暖簾分けのような形で起業する会社が多かった。まさに敵中に降りた落下傘兵のような孤立無援で始めるほかなかったし、始めた年齢も41歳という業界では比較的高齢の部類に入る為、様々な有形無形の嫌がらせも受けた。業界の慣習や業界用語も知らず、単なる理屈だけで始めたことが周囲との軋轢を生んだ。地区の研修委員長を拝命した時も「不動産業の常識は世間の非常識」と改革を呼びかけたが、既得権に浸った業界から村八分のような扱いを受け結局一期で辞任した。

当時はこの業界は売買中心で、賃貸は売主とのつなぎとして管理も含めたサービスの位置づけだった。その為、賃貸は実質片手間だったし本腰を入れてやろうとする業者はいなかった。現在では売買仲介は大手の独壇場になり、業界首脳部も売買のようなフロービジネスよりも賃貸仲介や賃貸管理のストックビジネスに変更するように指導しだした。

生き残り策として、自分で物件の持ち主に直接訪問するしかないが、それも業者から「俺の客を横取りするな!」「客に変な知恵をつけさせるな!」とクレームが入り、女子社員が何人かは怖がり退職した。

そこで、地元の業者にできない事ならば問題はないだろうという事で「テナントを開拓」し、空き家・空き寮や、土地有効活用を提案した。中でも空き寮に対する提案は効果的で、融資返済に直面した融資先や所有者から好意的に迎えられ、顧客の紹介へとつながった。

当時、町場の不動産屋で一部上場企業や優良テナントを紹介するところは皆無で、当社の特徴として差別化ができたことが大きい。それが管理戸数の増加に寄与し、徐々に賃貸仲介・管理会社として変貌していくことになる。加えて当時は珍しかった「相続対策としての土地有効活用」も不動産屋らしからぬプレゼンとして評価された事もある。当社のブランドの低さをテナントの知名度で補ったわけである。

思い出深いビジネスとしては、現「日産スタジアム」の横浜国際総合競技場の買収に関与した事である。旧建設省と横浜市が「競技場と鶴見川多目的遊水地整備事業」として合同で1984年から始めた事業であり、2002年のFIFAワールドカップが開催される予定だったが、1994年迄あまり買収交渉が進捗していなかった。
そこで買収該当地区の地権者数百名を抽出し、港北区の地権者に的を絞り事業資産の買い替えと都市計画法および横浜市開発審査会提案基準各号に準拠し、代替地の斡旋、アパート・マンションの計画を提案した。結果的に当該対象地の少なくとも5%は関与したと自負している。

そうこうしているうちに、あるJAの支店長から、積水ハウスで賃貸募集と管理をする業者を川崎北部地区で探していると聞き、紹介していただいた。これが当社の信用を裏付けるブランドとなり地域に浸透する事が出来た。積水の特約店になる事は厳しい制約もあったが、何しろ管理手法、他の特約店との競争原理を持ち込まれた事は社内でも大いに刺激になった。

不動産屋は電話と車があれば、いつでもどこでも開業できるが、倒産率も高い。過去15年間の業者数を見ても神奈川県は8000社前後で推移し、新規開業数と倒産数が比例している。特異点は従業員数が増えているという事実だ。つまり大手の系列化と多店舗展開により全体の業者数が維持されているという事になる。(業界では企業数ではなく店舗当たりの数を一企業として換算)

この業界は従業員数5人以下の不動産会社が全体の95%を占めている典型的な家族的小企業が殆どなのだ。昨今のような不動産テックを必然的に導入しなくてはならない大変革期についていくことができるか、大いに疑問である。街角にあちこち見かけるコンビニさえ神奈川県下で3500店舗である。日用品でもない不動産を扱う店舗が3倍近い8000店舗も存在できること自体異常と言わざるを得ない。早晩かなりの数の企業が淘汰されるのは間違いがない。その警鐘として2021年6月から「賃貸住宅の管理業務等の適正化に関する法律(賃貸住宅管理業適正化法)」が施行されることになった。今迄、不動産会社ならば何でも扱う事ができたが、これからは200戸以上の賃貸管理については様々な規制の下に国交省に届ける義務が出てきた。業務や賃料の分別管理が必須になったため、それなりの人員を確保しないと業務ができなくなったし、当然そこにはIT化が加味されるので業務が相当に変化する事になる。

賃貸市場も変わってきた。従来は貸し手市場だったが今や借り手市場に変化した。「貸してやる」から「借りていただく」の変化だ。有名百貨店でも年間150万近く購入してもらえば重要得意先になる。家賃に置き換えれば月12万、共益費5000円レベルが該当するから、ちょっとした駅近の2LDKマンションが全て該当する。勿論、きちんと賃料を支払い、住まいのルールを守る優良入居者が対象になるが、今後はこういう優良入居者に対して長く住んでいただくように、管理会社の重要性が出てきた。適正な賃料のもとに環境を整備する事がポイントだ。人権意識の履き違いで起こるモンスタークレーマーや、賃料滞納者への毅然とした対応が求められている。今まではハウスメーカーや建築会社主導でアパート・マンションの計画があったが、これからは管理会社の立場で計画する事が当然になる。メーカーの子会社の管理会社ではメーカーの制約下にあるし、独自の立場で貸主、借主の立場を勘案したアドバイスが求められる。従来の不動産屋では対応できず、税務・ファイナンシャル・建築・管理ノウハウと様々な知識を持つ管理会社のみが存続を許されるはずだ。

当社においては、創業以来お付き合いいただいているオーナー様や、代替わりしてもお付き合いいただいている方も多く感謝に堪えない。多くのオーナー様に支えられて当社の今日があるので、そのご恩に報いるためにも「アーバンに頼んでよかった!」と言われるようにしなくてはならない。

今迄オーナー様のご厚意に甘えたところも多く、創業当時の苦労も知らない社員も増えてきた。初めからオーナー様ありきで、信用を得るのに如何に苦労するかという意識が希薄になっている社員も見受けられる。
信用に甘えて手順を省いたり、説明がぞんざいになったりする事例もみられる。オーナー様のおかげで現在の当社があるという意識がないのだ。新規顧客に対するような緊張感がないのだ。

特段の差別化要因もなく優位性もなければオーナー様にとって、当社と付き合う必然性はない。社員の意識をリセットし、組織の再構築の上でも今回の社長のバトンタッチは必要だと考えている。
当社の理念である『顧客に最高の満足を与えるとともに信頼産業としての一翼を担う』をもう一度噛みしめてほしいものだ。これを2人の新社長へのエールとしたい。

                                                                会長   三戸部 啓之

不動産活用レポート

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