230号-2016.9.25

[ 2016.9.25. ]

230号-2016.9.25

採用リスクが大きくなっている。加えて採用コストも上昇気味だ。営業一人60万にもなる。大手中小も含めて、「働きやすい! 休みが多い会社! 残業・休日出勤がない」の文句が踊っている。しかし採用側の判断基準は正反対だ。だから応募学生もきちんとレクチャーを事前に受け模範解答で臨んでいる。建前と本音を使い分けるわけだ。企業側も何時のころからか、学生に拒絶感を植え付けないような、快い響きのキャッチフレーズが並ぶ。

お互い虚構の舞台で演技していることになる。「企業側の求める人材と供給される人材」のミスマッチがある。3年で30%退職する事になった。勤務3年での退職コストは2000万に及び、その転嫁先はなく大変なダメージを企業側に与える。また政府も少子化を受けて一律新卒採用から3年未満の大卒までを新卒扱いで募集するよう企業側に求めている。後付け理屈で「世界的な動向で新卒一括採用をしているのは日本だけ!」というキャンペーンに努めているが、文科省の平成26年3月の「学校基本調査」で大学卒業者の内、進学も就職もしない学生が12.1%、一時的な仕事についている3.0%と合計15%にもなっている現実を踏まえた救済措置ともとれる。平成20年の就職氷河期での同調査25.0%よりは改善されているが無視できない数字ではある。しかしその殆どが就職失敗組であり、企業の採用ハードルを下げろというに等しい。これに対しては企業側から「入社時教育がばらばらになる!」「給与や処遇で問題がある!」等々と反対論が根強い。これでは本命以外に入社した社員に絶好の転職機会を与えることになり、腰掛でいられたら目も当てられない。

 

 

今後退職率30%が50~80%になる可能性もある。退職された企業は3年間の教育費用が全額未回収となり、採用側はそのコストがかからない。今後第二新卒雇用市場は益々企業にとって激戦区になるだろう。学生側もお試し期間が何のリスクもなく与えられたことになり益々真剣さがなくなる。就職浪人も確実に増加するだろう。2014年度の調査によると奨学金の受給学生は51.3%で平均324万、返済は18年だという。ここにきて政府は「未来のある若者に高額な負債を負わせて社会人人生を出発させるのはいかがなものか」というジャブを打っている。学識経験者による文科系大学不要論も出ている。実際、理系や一部の国家試験受験者以外はあまり勉強していない事は周知の事実だ。ある調査では大学生は大学授業以外の一日の勉強時間30分未満が70%という驚愕するデータもある。これでは何のために最高学府に行くのかわからない。後日談だが「最高学府」という言葉は今の学生には意味が通じない。以前は入学式に必ず大学の学長がその言葉を挨拶で言っていたはずだが、死語になっている現実は大学自体が様変わりしているという事に違いない。勿論「学士」という言葉も早晩死語になる。今は準義務教育化している「大学ぐらいは出ていないと恥ずかしい」レベルで、履歴書の必須事項にもなっている。苦学して学びに大学に行くのではなく、単なる履歴書の最終学歴を書くための費用であるから、親もその費用を出したがらないし、政府も教育産業の経済効果を無視すれば、借金までしていく必要がないと思っている節がある。「大学は知識の卸売業、大学教授は知識の小売業者」といわれる時代だ。表向きはストレートに言える訳ではないのでオブラートに包んでいる。戦前、大学出は社会的ステータスがあったし、それなりの出世コースが用意されていたが、「大学卒」のラベル自体、御利益がなくなった以上、手間暇かける必然性はとうに無くなっている。まして企業に入社しても「第一選抜組」「キャリア組」と言う厳然たる階級差別がある以上、一部のエリート大学以外はその価値は低い。大学全入時代といわれる昨今では尚更だ。

その階級にある学卒者は、依然として引く手あまただろうが、選に漏れた大多数の学卒者はそれなりのパフォーマンスを求められる。「意欲」「向上心」「行動力」「協調性」が主なものだ。「実際に作業する現場の人」が求められるのだ。つまり代替性のある消耗品人材だ。

 よく言われる「知恵を出せ、なければ汗を出せ、それもなければ去れ!」は企業の本音だ。

募集要項で「我社は人材を大切にし、あなたの成長に寄与します」と美辞麗句が踊っているが、「会社貢献できる社員だけが対象」だという言葉が抜けている。この当たり前の理屈が通用しない世の中だから歯の浮くような、欺瞞の言葉が踊っているのだ。

企業は倒産したら一巻の終わりだという当たり前の事実が抜けている。「会社の従業員は全精力で働きその報酬を成果に応じて受け取る」だからその社員に感謝し雇用責任を負うのが経営者になる。経営者は「フォローユーではなくフォローミー」のリーダーシップが求められるし、常に「先陣」を務める厳しい職位にある。加えて倒産すれば「個人財産をすべて失うリスク」を抱えているので、そこには民主的組織運営は理想論であっても現実論ではない。学者先生が言う理想の組織は「傍観者」でいるから言え、成功事例類型に基づく最大公約数からの理屈だ。系統立て論理の一貫性を求められる学問ならではの宿命だが、その通りに経営して成功したケースは寡聞にして知らない。当たり前だが安全な畳の上で水泳の練習をしても実際の海や川では泳げないのだ。経営の神様といわれた松下幸之助さえ「運が90%」とおっしゃっている。運という不確かさに命運を託す経営者は心情的にも、経営書や成功事例のコンサルティングに飛びつくのだろう。何時までも「名伯楽」を探し求めて。「トップは漬物石のようなものだ、それがふわふわしていたら、おいしい漬物はできない。組織に甘えが出たら、一瞬でガクっとくる。緊張感をずっと保たなければ駄目だ」という重い立場だ。「人生は見たり聞いたり、試したりの3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり聞いたりばかりで、一番重要な、試したりを殆どしない」故本田宗一郎氏の言葉が心に響く。とは言っても行くのも地獄、下がるのも地獄だ。ありふれた事だが失敗と成功は裏腹になっている。皆失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない、先行きが見えない。今の企業社会にも、空疎な評論を並べ、分析を訳知り顔で語る人間が多く見られるが、評論も分析も新しい知を生まず、何の価値も産み出さない点は肝に銘じるべきだろう。

当社は全て「営業職」で募集している。新卒者は賃貸仲介を手始めに3ヶ月毎に配置換えし、半年後に仮配属する。社長以下のヒアリングは1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年、3年ごとに実施しその後の配属の資料にしている。内勤事務社員はその中から適性に応じて選抜しているし、内勤事務から営業に配置替えするケースもある。主眼はミスマッチを防ぐことにある。

当社で内勤事務職を募集すると捌くのに苦労するくらい応募者が多いが、反対に営業職の採用には大変苦労する。それほど営業職は「厳しい、ノルマが課せられる、時間が長く拘束される」との負の面が付きまとい、「自分の考え通り進められる、人間関係が作られ達成感がある、ビックビジネスが可能、企業の基幹業務」というプラスの面が忘れられている。

ハロルド・ジェニーン(元米国巨大企業ITT会長)の言うように「実績のみが君の自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが君自身として成長する自由を君に与えてくれる。覚えておきたまえ、実績こそが君の実在だ! 他のことはドウでもいい!」厳しさは否定できないが、反面自己成長を実感できる。よくしたもので、甘い会社には甘い社員が集まる。「仕事にやりがいがない」と感じるのは自分がそれを求めているからだ。飽食の時代ならず飽職の時代になってきた。

小職の経験で恐縮だが、学生時代アルバイトもせず、チャラチャラと生活していた。しかも周りから「三戸部は営業ができないし、向かない!」といわれながら、営業を続けている内に営業の面白さやダイナミックさが判り、これほど組織を動かし顧客から喜ばれる仕事はないと思うようになった。

勿論、それなりの苦労はしたが、自分の欠点を見つめ、何ができるかと考え、それに徹したことがD社のサラリーマン時代に社長表彰2回の栄誉につながった。なんでも無我夢中にやればできるという自信は大きかったし起業につながった点は見逃せない。

社長  三戸部 啓之