276号-2020.7.25

[ 2020.7.1. ]

276号-2020.7.25

4月に登戸にあった本部が向ヶ丘遊園に移転した。当初本部は15人規模でスタートしたが3月31日現在25人となり手狭になったためだ。そもそも30坪の広さに15人は事務所の一般的観念から言えば一人当たり2坪で最低の広さと言える。

法律《労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)事務所衛生基準規則第2章第2条》では面積ではないが、以下の様に定められている。
「事業者は、労働者を常時就業させる室(以下「室」という)の気積を、設備の占める容積及び床面から4メートルを超える高さにある空間を除き、労働者1人について、10立方メートル以上としなければならない」つまり平均的階高2.5mとすれば床面積は4㎡(1.2坪)となる。又、日経ニューオフィス推進賞受賞企業のオフィスの一人当たりの面積は平均11.8㎡(3.5坪)となっていた。勿論、外資系や弁護士事務所等はこれより広いところが多い。高度な知的労働者にふさわしい広さと調度品がある。

それからすれば30坪に25人は4㎡(1.2坪)となり、推進基準の半分以下になっていた。これは事務所平均値での話であり、応接スペースや水回りを加味すると一人当たり1坪弱、相手の背中が触れそうな距離に毎日を過ごしているような状態だった。労働環境の整備が叫ばれる中、社員の就労環境整備は喫緊の課題であった。

当該本部は「川崎都市計画事業登戸土地区画整理事業」に入っており、総面積約37.2ヘクタールの大きな区画整理の隣接地にある。組合を設立したのが昭和63年9月だから昭和、平成、令和と約32年が経過したことになる。事業施行期間も昭和63年9月~令和8年3月だから、まだまだ事業が終わるのは先のことになる。市街地の成熟は田園都市沿線の事例を見ても開発後30年はかかるので、登戸の商業市街地としての成熟は令和時代が終わる時期かもしれない。令和2年5月現在でも仮換地も含めて60%の進捗状態だが、第一回仮換地指定が平成3年12月で、令和元年7月が第75回仮換地指定から見ると、既存市街地の再開発事業は権利調整に時間がかかり、一括換地が如何に難しいかがわかる。

ここに来て既存家屋の移転も急ピッチで進み、商業ビルや集合住宅の建設が目立つようになった。しかし地権者間でも賃料協定があるらしく、値崩れを起こすようなテナントは、ご法度らしく賃料相場も商圏から見て割高である。これから相続対策等で建築会社のプレゼンも激しくなるだろうし、早晩賃料相場も市場に合致したものに落ち着くだろうと見ている。あの商圏にあと5年で数十棟の商業ビルが建つ計画から見て、集客できる大型施設がないと通過客のみで滞留客がなく、賃料の値崩れはほぼ間違いがないだろう。

こうした中で、現在の本部を借りているオーナー様から「新築の商業ビルのテナントとして入居しないか?」とお誘いがあった。賃料も当社で考えている範囲だったので、渡りに船とばかり即断した。就労環境の整備は必須だが、とはいえ先立つものは資金だ。まして面積も倍以上になる。

当然今より社員数も増え40名が在籍する予定だ。理想を言えば90坪は欲しいところだが、現在のわが社の実力ではその負担能力はない。この業界の常として「格好をつけ、見栄を張る」事が多いが、今までの経験から背伸びせず、分相応にして30年来た背景にある。まして賃料となれば当然だが、一時的なものではなく、借りている限り払い続けなければならないだけに慎重にならざるを得ない。

過去にバブルで浮かれ派手にふるまい、親しくしていただいた同業者も多いが、現在まで残っている同業者はいない。「不動産屋らしくないな!」という嘲笑も浴びたが、身近に栄枯盛衰を見てきたのが心に残る。あの狂気の中で粛々と本業に専念し、現在に至った同業者も少なからず知っている。

共通するのは、全部が5人以下の家族経営だったところだ。他人がいないというのが強みになっていた点と賃貸仲介がメインだった。当社の売り上げは不動産業界では見られない100円、1000円単位の積み重ねだ。一発逆転ホームランはあり得ないし、従来の不動産会社の感覚では早晩生き詰まる事は必至で、細かい売り上げの蓄積である。「労多くして益が少ない」業態から見て不動産業に十把一絡げにまとめられると困惑する。社員にも「一円を笑うものは一円に泣く」と口を酸っぱくして言っている。

社有営業車も現在41台あるが全て中古である。先日ある取引業者から「なんで中古車ばかりなのですか?」と言われたが、半分冗談っぽく「社員も中途入社の中古だから当然車も中古になった!」と言ったら、呆れた顔をしていた。因みにビジネス什器も90%が中古再生品である。機能上も全く問題がなく節税効果も高いから願ったりかなったりだ。

中小の地場仲介会社の売買仲介がなくなり、業界団体の指導もあり「賃貸管理業に進出」する例が多いが、中々売り上げとして定着するのは難しい。社長自身の感覚の切り替えと社員の姿勢の切り替えが難しいし、組織の構築というハードルがある。1000戸の壁というものがある。そこまではどうにかなるが、それを超えると社員教育から組織の構築、リーダーの育成まで様々な課題を乗り越えなくてはならなくなる。不動産屋の店主から不動産会社の社長への脱皮が必要になるからだ。

勿論、当社がそれをクリアーしているという事では決してない。

社員教育とリーダーの育成は永遠の課題だし、現在も悩みは尽きない。社員数が増えれば、セクハラ、パワハラ、労働環境の問題も出てくるし、車両事故、労災事故の問題も神経をとがらせなければならない。指揮命令系統の問題や人事管理も新たな課題として眼前に突き付けられる。「業務が見えなくなるのだ」人に任すが責任は自分が負うという組織の長としての精神的強靭さが必要になる。

如何に優秀な社長でも一人では限界がある。又、社長自身が裸の王様になる可能性も出てくる。以前倒産した山一證券の野澤社長が「社員は悪くないんです!」と涙の記者会見をしたがその二の舞になる可能性はいつでもある。

ともあれ、新事務所への移転は終わった。例によって開設式典もせず、社員だけで身内だけで開所式を伴うささやかな乾杯をしただけに終わった。

長年の課題であった組織上の問題も解決しなくてはならない。オーナーからも指摘されていた担当窓口の一本化だ。部門ごとに担当を分けていたため、一日に何人も一人の顧客を訪問することがあった。

訪問されるほうはたまったものではないし、関連する質問も担当が違うという事で答えられないという事態も発生した。効率化を図るために取った措置だったが、部門間の連携がないためかえって顧客不満足を招いてしまった。

施設管理課の川崎地区オーナー担当も川崎に常駐することができるようになり、わざわざセンター北の事務所から40分以上かけてくるロスも省けそうだ。それでやっと「痒いところまで手が届く」サービスが可能になる。ここまで来るには5年の年月がかかっている。当初から予想されたことだが、『横浜・川崎両地区担当を毎日集合させる』事に意味があり、管理がしやすい為に今までの体制をとったのだった。しかし結果的に無理無駄が出て効率が悪く、社員が疲弊しただけに終わり、本来の顧客サービスから離れてしまった。「社員の業務提案はそのまま受け取らない!」という教訓が残った。分業体制は効率化に資すると一般的に言えるが、人的資源を主体としたサービス業では、その前提にある管理手法、業務の見える化、関連部門との連絡がうまくいかないと機能しない。その辺が未熟だと却って組織は非効率になる。高い代償だったが、過去の失敗を生かして再出発のスタートラインに今、立った。事務所移転を契機に心機一転して顧客により密着し、信頼をより強固なものにしていきたい。

                                                                                                  社長   三戸部 啓之