317号-2023. 12

[ 2023.12.1. ]

317号-2023. 12

今年度の宅建士試験が10月15日に終わった。発表は11月21日だった。今までの学習成果および模擬テストから合格者は6名と予想していた。当初の計画10名からは4名の減少だ。受験対象者35名中、6名だから17.14%の合格率になる。しかし結果は見事に裏切られた。合格者は4名、合格率は11.4%に終わった。全国の合格率は17.2%、合格点は36点、この試験に特異な5点免除講習修了者(31点で合格)も含めると恥ずかしい結果だった。

思えば今年3月より役員、社長、会長の5名が4~8名を担当し勉強の進捗状態を面談の上、毎月確認してきた。予定通り進まないものには、その原因を一緒に考え、生活指導までしていた。勉強の癖をつけるために、2時間机に座らせることを重点に置いた。2時間以上座る癖が付かない社員には、その環境を整える事が一番と、19:00以降のスマホを自粛し、酒の好きな社員には休日以外の飲酒を我慢すること、だらだら残業をやめ19:00には帰宅するように指導した。

10月の試験日までの勉学スケジュールについても、今までの実績を見て100%できるようなものに変更させた。勿論これは本人自身の問題であり関与の仕方も限界があるが、なぜその資格が必要なのか、その資格取得によって何が変わるのか、を都度繰り返した。結果は残念ながら上記の通りだった。

次期に向けて不合格者の原因分析をしなくてはならない。当たり前だが本人が自覚を持つという方法と合わせて不利益を科すという方法も取り入れる必要を感じた。本人の覚醒のトリガーになる原因はいろいろと考えられるが、組織的に取り入れる事も考えなくてはならない。人間の本質にかかわる怠惰説と勤勉説の問題だ。孫引きになるが、指導側としては教訓となる古い諺がある。ちょっと長いが引用してみる。

「男子、三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」という慣用句だ。原文は『三国志演義』が出典。呂蒙(りょもう)という人は、呉王の孫権(そんけん)に度々重んじられてきたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人だった。そのため書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていた。そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、『呉下の阿蒙(ごかのあもう):昔から全く進歩しない人のたとえ』とからかっていた。そんないつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かねた孫権は、呂蒙に学問を勧めたが、はじめのうち呂蒙は「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と言い返していた。しかし孫権は「博士になろうとしなくていいから歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えた。国王にそこまで言われたらやらざるをえない、呂蒙は発奮して勉学にも本腰を入れ、やがて本職の儒学者たちをもしのぐほど読書をし、勉強を続け、見る見るうちに教養を身につけた。実際に語り合った呂蒙は、以前とは比べ物にならないくらい豊かな学識を兼ね備えた大人物へと成長していた。おどろいた魯粛(ろしゅく)は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛した。これに対して呂蒙は「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば大いに成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたという故事だ。

人間だれもが能力を持っている。外見からは判らないほど、色々な能力をもっている。この慣用句も、三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っている。つまり呂蒙は、孫権の言葉を「きっかけ」に、「素直」にその言葉に従い、自分を「変える」ための努力を惜しまなかったことで、大いに成長できたということになる。

我々も何時かは、気づいてくれることを期待しながら今まで来た。仕事に対する明確な目標を持たない「意欲の少ない」若い人が多い中では、この姿勢の尊重が、徒労に終わることも多い。採用でも最初の関門は「休日数」「残業時間」「給与」「福利厚生」「会社の雰囲気」で応募が決まる。就職しても、責任ある地位にはつきたくない社員も少なくない。

超安定化による不胎化現象を、堺屋太一氏によると、欲ない・夢ない・やる気ない、の「3Yない社会」と表現している。入社面接時の定番応答の「熱意・向上心・やる気」姿勢はその場限りの言辞で終わっているから、入社後はすっかり忘れ、面接時の意気込みは何だったのだろうと、首をかしげざるを得ない事も多い。

勿論少ないながらきちんとしたキャリアプランを持ち、在学中に資格取得する社員や当社のガイドラインである3年以内に取得する社員もいる。彼らに共通していることは、逃げ道をなくし退路を断っていることだ。ある程度の有名大学の卒業者になると、中学、高校受験でその姿勢を訓練されているからこのような危惧はあり得ない。しかし当社に入社する大多数の社員は何をやりたいからではなく、入社が決まったのが偶々当社だっただけで、資格を取得する意味も動機もあいまいなまま過ごしている。

不動産の仕事をやりたいからではなく、入社しているうちに興味が出てきたり、顧客折衝上、無資格を指摘されたとかの外圧があってから真剣に取り組むケースなので、入社後3~5年たって初めて本格的に受験に入るようだ。

会社の方針にも「顧客の最良のパートナーとなる為に常に努力する」とある。それを踏まえて資格の必要性や意義を口酸っぱくして言い続けている。結果的に本人の属性と指導側(会社)に問題が集約される。前提として採用基準も絡むが、資格取得の必要性を理解し、それに勉学環境を作り、目標に向かって姿勢を維持させる事になる。特に大変なのは「目標に向かって姿勢を維持する」ことだ。しかし、簡単そうで難しい事は、今までの経験で証明されている。潜在意識を使った習慣化の重要性を痛感していながらも、実行できないというジレンマに陥っているということだ。例えば、禁酒・禁煙が続かない、早起きが続かない、日記が続かない、等々…、身近な事例としてたくさんある。

やれば、周りの人たちが、「頑張ってますね~」「すごいですね~」と、勝手に称賛するが、本人の感覚的には、「頑張ってもいないし、すごくもないんだけどな…」という感じなので、称賛されるとかなり違和感があるはずだ。やることが習慣化していることは、全て朝に顔を洗ったり、歯を磨くような感覚に近い。顔を洗ったり、歯を磨くのに「頑張って!」やる人はいないはずだ。そしてそれは誰にでも再現可能だ。しなければ自分に不利益がかかると認識すれば、より自己強制力が身につく。給与が減る、顧客にバカにされた、同期に恥ずかしい、彼女にバカにされ振られた、なんかも強制力がある。外圧次第ということになるから環境を作る事がポイントになる。だからまず机に座る癖をつけ、決められたページの本を読まなければ落ち着かない、気にかかって眠れないというレベルが必要だ。どんなに疲れていても眠たくても、1ページでも、1問でもやらなければ落ち着かないという強迫観念に似た精神レベルになればいい。それが癖が付くということになる。本を読むことが、問題を解くことが精神安定剤になっている。

ある司法試験の合格者は、死ぬほど勉強した!と言っていたが、勉強を習慣化したレベルを超えた次元の話だろう。宅建は死ぬほど勉強しなくても合格するレベルの資格だ。司法試験は10000時間、宅建は500時間だ。要は本人次第だが、昔のように「バカ野郎!」「怠け者!」「やる気がないならやめてしまえ!」ということもできない状況では、人権=自主性という図式から必要性を訴え、褒め、おだてるしかない。また合格後の自分の姿を想像させることも必要だ。自主性に委ねることは時間がかかるが、育成とは忍耐と手間暇をかけることだとも言える。ちょっとした言辞がパワハラ、セクハラと糾弾される世では、指導する側も今まで以上に気を使うこととなるのは避けられない。

 

家康の「鳴く迄待とう、ホトトギス」の感覚だが、中小企業では鳴く迄待つ体力があるかが課題だ。変化の速い昨今では、宅建合格が終着駅ではない。単なる始発駅でそれを踏み台にステップアップが求められる時間との勝負だという意識が必要だ。

                                                                                                                       会長  三戸部 啓之