297号-2022. 4

[ 2022.4.1. ]

297号-2022. 4

 毎年2月14日はバレンタインデーとなっている。バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。ローマでは、2月14日は女神ユーノーの祝日だった。ユーノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカーリア祭の始まる日であった。


 当時若い男たちと女たちは生活が別だった。祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。

キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。しかしウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカーリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカーリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。

 しかしこの逸話は、ローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである可能性もあり真意は不明だ。日本では、1958年(昭和33年)ごろから流行したと言われている。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。

 戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であったという。毎年2月に売り上げが落ちることに頭をかかえていた菓子店主が企画を発案したと云われている。「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。

 文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えると徐々に流行りだした。菓子店の企画と広告、キャッチコピー、宣伝方法、百貨店とのタッグなどによる商戦の成功であったといわれている。
なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生であるとされる。その後、大小を含め菓子業界が参入した。
                   「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」引用

 愛の告白代として数千円というのは価格的にも手ごろだし、受け手も抵抗感が少ない事が広まった理由だろう。慣習とかシキタリは意外と裏に商魂たくましい仕掛け人がいるものだ。以前は富裕層しかダイヤモンドを手にすることができなかったが、1866年に南アフリカでダイヤモンドの鉱山が発見されたことにより、安定的に供給できるようになった。そこで一般の人々もダイヤモンドに手が届くようになった。ダイヤを婚約指輪として贈る習慣はデビアス社がキャンペーンを始めたものだ。

 女性が男性に贈り物をするのも、チョコレートがメインなのも日本と韓国くらいだそうで、日本はかなり独特なバレンタインデーを過ごす国として認識されている。
 ちょっと前までは、家族持ちでも対象になる点が奇妙だが、社内でも「もらえない男」は女性から関心がない男性とみられ、帰宅後妻からもバカにされた。だから一時は当日近くなると、周りの女性に声をかけ、もらい損ねないように根回しをするという涙ぐましい努力をする者もいた。
貰えない中高年は自腹でチョコレートを帰宅時に買うなどバカな話だ。英ファイナンシャルタイムズによると「義理チョコ」は、会社員を縛るしがらみの1つと指摘する。背後には暗黙のルールとして、横並びの関係から外れる恐怖という集団心理があると言う。

 しかし今時の若い女性はもっと積極的だ。ストレートに「好き、嫌い」を言うし、チョコレートに託して愛をつなぐなんて「昭和の女性」と揶揄される。ぐずぐずハッキリしない男性には女性から「どうなの?」と催促される時代だ。

 最近ではバレンタインデーが来ると戦々恐々とする男性も増えている。義理でもチョコをもらえば翌月に来る「ホワイトデー」のお返しがあるからだ。
ホワイトデーとは、一般的にバレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が、そのお返しとしてキャンディ、マシュマロ、ホワイトチョコレートなどのプレゼントを女性へ贈る日とされる。日付は3月14日。ただし、近年(2000年代以降)の日本では、「友チョコ」や「自分チョコ」、「義理チョコ」などバレンタインデーの習慣が多様化してきていることから、ホワイトデーにも「友チョコ」や「義理チョコ」のお返しが行われるなど多様化が見られるらしい。義理だから仲間や恋人同士の「返報性の原理」は働かない。義理を返すという義務があるだけだが、そこには等価性が求められるからお返しは簡単ではない。

 チョコを使った遊びにそんな目くじらを立てる必要はないとも言えるが、さしたる効果もないのに続ける必要性は疑問である。日本人特有の「周りが皆やっているから」「仲間外れになりたくない」だろう。少ない給与や小遣いからの臨時出費は痛い。特に上司はさらに気を遣う。もらったチョコを値踏みしなくてはならないからだ。

最低限もらった価格以上のものを返す必要があるから、メーカー名は忘れられない。食べたくもない超高級チョコなんかは頂いた途端、パチパチと値段をはじく。一粒500~800円もするチョコレートだ。お返しも3000~5000円にもなる。一粒50円のチョコとどれだけ違うのか不明だが、ブランド代なのだろう。原価5万円のバッグがルイヴィトンのブランドがつくことにより40万円になるというマジックと同じだ。

汎用品のチョコより数倍もする価格のチョコを態々買って渡す行為そのものに価値があるに違いない。勿論、この高級チョコレートを渡すのは、恋人など特定の関係にある人だろう。

最近困るのは、若者には有名でも「オッサン」には不明なチョコや外国製ものだ。一々、ネットで調べておき、ホワイトデーには同等の外国製チョコの登場となる。その労苦たるやバカにならない。又よくメモが添えてある。これも一般的な挨拶やお礼程度なら問題はないが、優しいコメントなどがあると余計な気を遣うらしい。

誰しもうぬぼれはある。長年連れ添った連れ合いから、存在感を無視されているような「オッサン」には胸がときめく瞬間かもしれない。「もしかして・・・」なんて一人悦に入っているのも可愛げがある。加齢臭を帯びた「オッサン」には万が一にも起きない事だが、錯覚する輩もいるかもしれない。だとすれば「義理チョコ」も罪深い。


 その辺もだんだん覚醒され、義理チョコ廃止論も出てきた。まして宗教的背景がない行事自体廃れて当然だが、遊びの要素が入ると別だ。物資が豊富な世の中だから企業はあの手この手で商品の拡販を図る。品質や価格だけでは拡販ができないから、物語性が必要になる。ターゲット顧客に合わせたストーリーだ。これからのマスマーケットは高齢者だとすれば、提供商品は変化する。

可処分所得を踏まえたうえでの商品になるが「シルバーデー」「ゴールドデー」と位置付けられる商品を開発できるかが企業の命運を占う事になる。

                                    会長  三戸部 啓之