302号-2022. 9

[ 2022.9.1. ]

302号-2022. 9

 新型コロナウィルス禍で、就職後半年~1年で休職になった例も多く報告されている。
 若い就業者は精神的に不安定で鬱傾向になりがちだというデータもある。オンラインでの教育に移行した会社も多かったが、以前のような懇親の場での本音のやり取りも、人を育てる上では大事だったと、見直されている。社会性が身についていない若者が多い昨今では、こちらから意識的に仕掛けていかないと孤立しやすい。しかも叱られたり、注意されたことが少ない若者が多い。そういう場合、過剰な自虐感にとらわれ、その解決方法や乗り越える訓練もされていないから、悶々と自ら抱え込むことになる。
「他人の意見に左右されずに!」とか「自分の考えを大事に!」とかある一面を強調したマスコミや教育学者等の言辞に左右された結果だ。
 本来なら社会性が身についたものだけが言える事だが、誰でもできる事ではない。それだけの時間と訓練が必要なのだ。会社でも欧米に見習え!日本は遅れている!という無責任な学者先生の「仕事とプライベートはきちんと分ける」事が、今回のコロナでマイナス面が顕在化してきた。教える人と教えられる人には上下関係が必然的にある点と会社は組織で動いているのを忘れている。まして給与をもらう以上当然だ。最もその根幹的原因はそこだけでなくもっと奥深い。

 ユング心理学者の河合隼雄氏は母性の原理は「包含する」機能によって示され、父性の原理は「切断する」機能によって示されるとする。母性原理の特徴は、子供の個性や能力に関係なく、我が子である限り、全て平等に扱うところにある。例えば、言うことを聞かずに悪いことばかりしても、勉強をサボってばかりいても、頑張ると言うことがなく怠惰であっても、我が子だと言うだけで温かく受け入れる。叱咤激励するという事がない。そのような母性原理は、その肯定的な面においては、優しく保護し傷ついた時はその傷を癒し気持ちを支えるが、一方で、「自分の思い通りにしよう」「自分から離れられないようにしよう」と束縛し、呑みこみ、しがみつきさえして、子供の自立の足を引っ張るといった否定的な面を持っているといわれる。
 一方父性原理の特徴は、義務を果たしたり、能力を発揮したりするものだけを認め、義務を果たさないものや能力を発揮できないものは切り捨てるところにある。例えば、すべきことを怠ったり、悪いことをしたりすれば、厳しく叱って行動を改めさせ、頑張ることをしない場合は叱咤激励して頑張るように仕向け、自立の時期が近づけば適度に突き放し自立へとかきたてる。そのような父性原理は、社会性を身につけさせ、自立に向けて強い人間に育てあげていく建設的な面を持つと同時に、あまり厳しい場合は切断の力が強すぎて破壊に至る面を持つ。要はバランスなのだが、それが近年「父性原理の崩壊」となって表れてきた。「友達親子」の誕生だ。「怒らない父親」「なんでもいう事を聞く父親」の誕生だ。マスコミも学者先生もそれを称賛した。
 しかし、欧米と日本の子育てに大きな文化的伝統の違いがある。例えば小学校でも能力が低ければ留年が当たり前で、教師はポジティブな言葉かけで頑張らせようとするものの、成績が基準に達しなければ即座に切り捨てる。それが欧米社会である。小学生はもちろんのこと高校生や大学生であっても、みんな一緒に学年を上げてやらないと「かわいそうだから」と言ってどんなに成績が悪くても留年させず、温情で進級させようとする日本の場合とは大違いだ。モンスターペアレンツなんて考えられないだろう。親は子供にとって絶対的な権力者で、子供は親の言うことを聞かなくてはならない。親は様々な言葉がけとスキンシップでコミュニケーションするが、決して子供に譲歩しない。親と子では立場が違うからである。それが欧米社会だ。そうした文化的な違いを踏まえずに欧米式は正しい、アメリカは進んでいる、日本は遅れているなどと海外流に追随するからおかしなことになる。子ども達の為にも、そろそろ欧米コンプレックスから脱却すべきだろう。

 今の日本のように、友達親子のような母性溢れる優しい父親がモデルとされる時代には、父親としてはちょっと頑張って父性を発揮する必要があることが見逃されがちだ。そうはいっても女性は強い。コロンビア大学のステファニー・カッセンによると、女性は年齢と共にどんどん逞しくなっていく。つまり女らしさが減って代わりに男らしさが高まることを明らかにしている。「地位が人を作る」と言う言葉もあるが、必要に応じて自分の人格を作り替えていく必要がある。もちろん母親も母性で包み守るだけでなく、時に防いで突き放し鍛える覚悟が必要だ。親が頑張って父性を発揮することを怠ると、子供も自分に甘く頑張れない子になってしまう恐れがある。子供の自由を尊重するというのは、社会性を身に付けないまま野放しにするということであり、それは決して子供のためにはならない。厳しさへの耐性の欠如も社会に出て本人を苦しめることになる。
 1990年代あたりにアメリカから輸入された「褒めて育てる」という発想は欧米流の過酷なほどの厳しさ抜きに「ひたすら褒めれば良い」といった形に歪められて日本中に広まったことが大きい。特にマスコミ等が「子供は小さな大人」として接するのが正しいと喧伝したが、人権として尊重するのと社会性を身につかせるために教育するのを混同した結果だ。1980年に「ゆとり教育」が始まった。「詰め込み教育」の知識偏重から自分で考える経験重視型への変化だ。時期を同じく1980年にOECD理事会の勧告を契機として2005年に個人情報保護法が制定された。極端から極端にぶれる日本では、少子化と合わせて傾斜した母性原理が重視され性的役割分担が希薄になった。そこで少子化対策の切り札として「イクメン」がほぼ義務化されたが、かえって面倒が増えたと妻側からの批判もある。
 内閣府の男女共同参画白書(平成 27 年度版)によれば、平成 23 年度では、6 歳未満の子どもを持つ夫の家事・育児行動率は、共働き世帯で、家事が 19.5%、育児は 32.8%であり、妻も有業であるのに、半数以上の夫が家事・育児行動をしていないことがわかる。また、夫が有業で妻が無業の世帯では、家事が 12.2%、育児が 29.6%となっており、共働き世帯と大差がない結果になった。つまり、育児に参加する夫は、共働き世帯と妻が無業の世帯のどちらとも 3 割程度であったことから、妻が有業・無業であることに関係なく育児 に参加していることがわかる。教育評論家の長久真由子氏によれば「日本の男性は、他の国々と比較して、家事・育児時間が短く、育児内容についても、時間や労力のかからないものへの参加が多くみられた。この結果から、男性の行う育児は、女性が中心となって行う育児に対する、補助的な役割である」ことが言える。加えて2-3歳の幼児期のうちは母性原理で育児するべきだが、幼児期を過ぎてからは父性原理が必要だと言われる。しかし、本人がその切り替えをきちんとする事ができるか、疑問があるし、母親がその変節に理解できるかという問題がある。幼児虐待が新聞紙上で頻繁に報道されているが、親自体がきちんとした社会性を身につけているかも問題になる。素質も社会的訓練もされていない幼児性を持った大人のような子供が、父親業や母親業を全うできるとは思えない。親は子供に社会性を身につけさせ自立できるようにすることが使命だ。それを忘れている親が多い。
 東京大学の玄田有史教授によると、今回のコロナ禍では大きな変化があったという。勿論今日明日ではなくその兆候は、5年先10年先に現れる。コロナ禍を通じて労働市場は正社員、非正社員の2層構造から3層構造に変化した。「正社員の中に、テレワークや裁量性の高い労働時間など柔軟性を手に入れた層が新たに生まれた。所得が多く安定性も高い。一方、会社指示の長時間労働や転勤などの柔軟性に乏しい正社員や非正社員が課題として残った」という。柔軟性の高い働き方のすそ野を広げる必要があるが時間がかかる。更に氷河期世代も子育てにかかる時間が減り、パートから正社員に転換が可能というタイミングでコロナ禍になり希望がかなわなかった人がいるが、引き続き政策的な目配りが必要となると指摘している。これは所得の分断を生み少子化に拍車をかける。社会性もない低所得者が増えれば、きちんとした養育は不可能になる。核家族化により相談する相手も難しい中では、子供を遺棄したり、虐待する事例は増えるだろう。教育費もそんなに割けないから底辺の階層が次世代へ引き継がれ、治安は悪化しデストピア(反理想郷)があちこちに出現する憂慮すべき世の中になる。日本の未来は厳しい。

 会長  三戸部 啓之