308号-2023. 3

[ 2023.3.1. ]

308号-2023. 3

   「親父の小言」というものがある。最近はあまり目にすることがなくなったが、1980年代までは「親父の小言と冷酒は後で効く」という特徴があることから、深酒しがちな居酒屋によく貼られていた。
親父の小言は江戸時代の末ごろに、江戸っ子が作ったといわれているが諸説があり、いずれも一族の繁栄を願った家訓でもある。
「朝機嫌よくしろ」「恩は遠くから返せ」「人には馬鹿にされていろ」など81ヶ条あり、これが原作だといわれている。明治になり新聞などの印刷物が出回るようになり、全国に広まったらしい。当時は著作権などないので、削ったり付け加えたりして、勝手に作り替えられた。昭和に入ると目先の利く商人が、35条に縮め額に入れ商品化した。居酒屋、銭湯、一般家庭の便所などの壁に張り出されたりした。
「親父の小言」の中で「子の言うこと八九つきくな」は、今の30~40代の父親や母親には理解できないだろう。彼らに対する答えは「子の言うことを8~9割は聞いてあげる。つまり親は頭ごなしに押さえつけないで、子を信じて、よく話を聞いて、納得させて、わがままを止めさせる」と解釈されるようだ。「八九つ聞くな」は文字通り「八九割聞くな」という意味だ。子供の言うことを何でも聞いて甘やかすと、ろくな大人にならない。「ワシはお前を甘やかしたから、風体は一丁前だが精神軟弱で人様から軽んじられる者になってしまった。お前は自分の子をワシのように甘やかしてはならんぞ」とおやじは自戒の意味をこめて説教しているのだ。

最初から聞く姿勢と、聞かない姿勢とでは相手の受け止め方は全く違う。教育効果は聞かない姿勢のほうが高いはずだ。「我慢する」、「よく考える」癖がつき、相手の説得材料を準備するからだ。そのような知的訓練を日頃から身に着けることが、共同生活上不可欠なはずだった。戦後の生活物資や娯楽施設が不足な時代にあっては、物理的に「我慢する」ことが当然だったから、あきらめも早い。私も子供のころは、クリスマスと誕生日しか、バナナやチョコレートは食べられなかった。店頭で陳列していても、「●●まで我慢しなさい」と言われ、泣いてもわめいても母親は知らんふりだったし、周りの人間もそれを当然視して「駄々をこねる聞き分けのない子、わがままな子」と見ていた。今ではそんなことをする親もほとんど見かけないし、叩いたりすれば虐待と通報されかねない時代になった。これと合わせ「女房の言葉は半分聞け」は言いえて妙だ。子供に対する姿勢と女房に対する姿勢は違うという教訓だ。結婚している夫婦の女性側を表現する言葉として、「妻・嫁・奥さん・家内・女房・かみさん・細君」がある。「女房」は、「ある程度親しい相手・自分と同等の立場の人」に対して自分の配偶者(妻)のことを呼ぶ場合に使われるくだけた言葉だ。我々の世代は「女房」という言葉は、中流家庭の「ほのぼのとした家庭の味」がするし、恥じらいと夫としての優越感を感じさせる言葉だ。

当時は男女の役割分担が明確にあり、女房は家事と子育てを受け持ち、夫は仕事に全精力を傾けた。そこで後年、主婦という言葉が考えられ、「既婚の女性で家庭の運営の責任者」という位置づけになったが、近年家庭での役割分担意識が薄れ「奥さん」が主流になった。奥さんからは母親という役割分担は希薄になった。夫と対等な位置づけで、相手は子供ではなく夫になった。だから帰宅すれば女房から「待ってました!」とばかり、不満や要望のオンパレードだ。まだ主婦という意識があるため、夫としては任せた家庭内の情報は把握する必要があるから、面倒臭がらずにきちんと聞け!ということになる。ただ、全部ではなく選択して聞けということだ。聞くことにより被害者意識が薄れ共同責任が明確になる。

粗食の時代の1950年代、飽食の時代と言われた1970年代もはるかに遠のき、今は「選食の時代」と言われ始めた。それほど物があふれる時代になり、食育という新しい考え方も出てきた。当然奥さんの役割も変化し、「半分聞け!」では済まなくなった。友達夫婦が過半数を占める時代にあっては「よく聞く」「全部聞く」ことが当たり前になった。ところが、初めから聞く姿勢をもつと、我慢しない、思いつきでいう、要求が通って当たり前になる。これに個人尊重の風潮が重なり、自己中心的行動が当たり前になると、「子は鎹:かすがい」ではなく「金が鎹」になってきた。つまり老後はある程度の金銭的貯蓄や資産がないと夫婦破綻の原因になる可能性が高くなってきたということだ。

親父の小言にも「女房に騙されるな」とある。これは、「表面上の態度に騙されるな」と解釈したい。我慢に我慢を重ねているかもしれないからだ。当社の管理物件の入居者の中でも「熟年離婚」は年に数件出ている。そのほとんどが奥さんから家を出てしまうケースが多い。老年男性が一人残される構図だ。三行半は夫から妻に代わった。原因は「会話の不足」が約70%を占める。「会話がない」から妻の変化や不満原因を早めに解消できないし、共同で解決することもない。気配りもない仏像のような夫と、これからの老後を過ごすのは耐えられない道理だ。まして知力、体力、財力が60歳をピークに下降線をたどるのが一般的で、老齢とともに夫婦間の健康負債は増加するばかりだからだ。2010年国民健康栄養調査で、高血圧症で60‐69歳は64.4%、糖尿病罹患率は同じく22.1%になっているので、それに対する医療費負担もばかにならない。離婚後の女性は見違えるほど溌剌としているのが見える。それもしっかり財産分与を取得してからの話だが。

流石に「親父の小言」には「働いて儲けて使え」「バクチは決して打つな」「おおめしは食らうな」「何事も身分相応にしろ」と書いてある。まじめに働いて、無駄遣いを止め、きちんと蓄財をしろ!ということだ。蓄財は今も昔も変わらない円満家庭維持の道理だ。勿論、遺産相続でもめないためには日ごろからの会話と不満解消が必要だ。親父の小言にもある。「家内とは笑って暮らせ」「人に腹を立たせるな」だ。上下関係がない以上、人間関係の要諦は今も昔も変わらないということになる。「親父の小言」を知ってか知らずか、今は政府の音頭で「蓄財するより物を買え、投資しろ!」ということだが歴史は繰り返す。

1960年に国民所得倍増計画が打ち出された。「消費は美徳」のキャンペーンが張られ、マスコミを通じて大量宣伝、需要喚起が図られた。他人との差別化をものによってし、優越感、先行感を持たせた。1980年には中曽根首相により対米貿易黒字解消のために、米国商品購入促進のパフォーマンスがあった。企業側もあの手この手を使い売り上げに必死だ。古くは結婚指輪のダイヤモンドリングだ。デビアス社が販促としてキャンペーンを張って一般化したし、バレンタインデーのチョコレートが有名だ。資生堂が化粧品の売り上げ拡大策で、顔に塗る面積を増やそうと、朝、晩の化粧品を替えさせたのもそうだし、従来化粧の習慣がなかった男性にも習慣化させたのも、塗る面積の拡大を図ったためだ。
さらにコロナ禍で特に顕著に消費活動に変化が出ている。一例をあげれば、シャネルのマトラッセというバックが120万円もする。それも入荷待ちの状態だ。コロナで様々な行動制限があり、消費欲望が抑制されたからと言われているが、たかがバックにこの金額は男性としては理解できない。本人に言わせれば、「宝石と同じく装飾品」という位置づけらしい。それを証明するように、中古品市場では80-90万円で予約待ちの状態だ。バックだけでなく時計や車まで同様な状態だそうだ。本来のトータルファッションではなく一点豪華主義でのパターンだが、キャリアウーマンをはじめ、ある程度の所得層には絶大の人気がある。現在の購買層に対しては、おやじの小言は効果がないようだが、それを相手に満足させるには、かなり身を削る覚悟が求められるはずだ。「贅沢は敵だ!」という標語も懐かしい昭和のおじさんの小言だ。

会長  三戸部 啓之