192号-2013.7.25

[ 2013.7.30. ]

192号-2013.7.25

物にも人生にも賞味期限がある、消費期限もある。食品衛生法やJAS法では「賞味期限は劣化が比較的遅い食料品を包装状態のまま所定の環境に置いた状態で、製造者が安全性や味・風味等の全ての品質が維持されると保証する期限を示す日時である」とされる。その食品の持っている美味しさを味わう事ができる期限ともいえる。旬の味というものだ。

消費期限は「製造日を含めて概ね5日以内に急速な品質の低下が認められる食料品」について表現される。その食べ物が変質、劣化しない期限である。賞味期限と異なり消費期限の渡過は健康を害するおそれも懸念される事になる。

この背景には消費者保護の流れがある。食品の種類も多く、その食材調達も世界中から運ばれてくる為、消費者の今までの経験では判定できないものも含まれてきた。更に大量消費時代を背景に様々な食品保存料等添加物が含まれている。さらに毎年それらの添加物も種々開発されている為、消費者の自己責任に負わせる事は公平の観点から言っても問題が出てきた。ここに情報の非対称性が生まれた事になる。

消費者は生産者の作った物を買うだけの立場になり、選択の自由が著しく狭まってきた。消費者は「臭い、形状、味」の判断が自ら出来なくなってしまった。「どの程度の劣化までなら人体に影響がない」という人類生存のためのセンサーが麻痺しだしてきた。与えられたものだけしか食べられないという家畜化された人類になってしまったのだ。

このような世界的な流れの中では、行政側からの指導監督が必要になってくる。生産者側に品質保証義務と表示義務を負わせたわけだ。消費活動はより活発になり記号的な安心安全神話が出てきた。反面自己防衛本能まで他人にゆだねた事になってしまったし、それに反発する地産地消という動きも出てきた。「グローカル」な動きが見直されてきた。

長々と書いてきたが、これを社員に置き換えれば、人それぞれにも「賞味期限」「消費期限」がある事になる。食品は予めデータで適否を判断できるが、人間はそれだけでは判断できない。だからは可遡性(かそうせい)を持つともいえる。食品添加物や防腐剤等で一定の品質を保持できる食品は、時間的経過に伴ってもそれ以上の品質の向上が見られない。ところが人間という有機物は、ある刺激が契機となって、当初持っていた品質を大幅に変える事ができる。環境や刺激で期限が左右される事もあるからだ。トンビがタカを生む事もあり、その可能性にかけたい誘惑に駆られることがある。かつて応募書類に学歴欄を記載させないとか、特技重視の入社試験が流行った事もあった。

人間は年年歳歳、様々な機能が劣化してくる。勿論、人それぞれに劣化の度合いや範囲は異なるが、一般的にフットワークを重視する業務は25歳まで、判断力を重視する業務は35歳までに基礎スキルを蓄積しないと、それ以後のアウトプットが心細いものになる。65歳の定年までの消費期限が持たない事にもなる。年齢に応じた「インプットの賞味期限」がある。それには「今しかない」という意識が必要だ。有為な刺激は精神教育とか現場の実体験で得られる。人生観、価値観が変わったとか言われるものだ。

これは年齢・経験を問わず現れるものだ。しかしある程度の先入観念を持つ年代層より、社会経験の少ない年齢層の方が効果的なことは様々な例が示している。「鉄は熱いうちに打て」と新卒や20代前半の社員の方が教育しやすいし、教えがいもある。毎年数百人の新人を採用する大手企業では、ピラミッド型の組織構造はうまく機能する。人事制度も各段階においてハードルを設けるだけで済む。それを超えた社員だけが次のステップに入るし、落ちこぼれはそれなりの待遇や関連子会社への移籍で済む。

我々の様な中小企業では、その落ちこぼれを放擲できない。大手に倍する手間をかけ一定の戦力を保持させなくてはならない。応募する社員も時代ともに変わる。採用する側も「一流大学卒」だけのタグでは心もとない。知 識量だけでは変化に対応できない、変化に対応できる柔軟な思考と行動力が求められている。しかしそのタグである程度の評価はできる。やはり「一流大学卒」は、ただ漫然と大学時代を過ごした大多数の若者より、様々な知的刺激を受けているし、ある程度の知的訓練も受けている。当社でもそれは実証されている。他の者より飲み込みも早いし優秀だ。後は努力次第だが、入社 5年・10年後となると「一流大学卒=できる社員」とはいかない。学歴ブランドは当社でも20代の5年しか持たないし、そのプレッシャーに挫折する社員もいる。所謂燃え尽き症候群に近い。

実社会では合格点というものがない。100点か0点しかない厳しい社会だ。受注先も一社しかない。「ここまでやったのに!」は通用しない。プロセスではなく結果しかない、勝者と敗者しかない椅子取りゲームなのだ。知識だけでは通用しない世界がある戦いの場なのだ。市場や競合先を読み、情報を収集し、仮説を立て実行する。そこには様々な能力が必要だ。組織を動員する力、組織のベクトルを一致させる力、他者の力を借りる力、過去の例からリスクを予断する力などだ。そこで必要な能力はコミュニケーションだといわれる。それはヒアリング(現場観察)に裏打ちされているし、臨機応変に変える必要もある。ビジネス書でも一番興味を引きベストセラーになるのは「組織構築」だ。その核心はコミュニケーション問題になる。それはリーダーだけの問題でない、そこに至るには早くから訓練しなくてはならない。

コミュニケーションには公認会計士の香川普平氏が言っている有名なものがある。「コミュニケーション線の数=チームの人数×(人数―1)÷2」という数式だ。例えば3人の組織の場合3人×(3-1)÷2=3本、10人の組織の場合10人×(10-1)÷2=45本、100人の場合は100人×(100-1)÷2=4950本、3人と10人では人数では3倍だがコミュニケーション線は15倍となる。100人ではなんと110倍だ。これから言えばコミュニケーションの限界もわかる。たたき上げの優秀な社長程この理屈がわからない。命令一下、社員が思惑通り動くと勘違いしている。

つまり、中間管理職(リーダー)育成の重要さが改めて認識されなくてはならない。リーダーの仕事は言うまでもなく社長の方針を「如何に部下に的確に伝達するか」「それを如何に達成させるか」にある。方針が有効に機能する為には、指示に基づいた結果を点検する為に、部下からの「ホウ・レン・ソウ」が必要になってくる。それも適時的確にする必要がある。これも日常的な訓練が必要だ。うまく機能している組織はこれができているし、トラブルも少なく部下の成長も早い。だがリーダーは意識して、新人の頃より育成しないと生まれない。

専門職とライン職のキャリアプランも必要になる。リーダーは「桃太郎たれ!」といわれる。御存じのように桃太郎の下には「キジ・サル・イヌ」の3匹の部下がいた。「キジ」は情報、「サル」は知恵、「イヌ」は実践をそれぞれ表している。組織は一人ではできない事を表している。様々な社員を組み合わせ最大のパフォーマンスを引き出す必要がある。勿論「キビ団子」とういうインセンティブも必要になってくる。

言葉にもモノにも賞味期限がある。消費期限もある。叱責するにも、褒めるにも期限があり、それを逸してしまうと意味がなくなるし、タイミングを外せばかえって反発を招き逆効果にもなる。これをできる社員とできない社員がいる。それに向かって努力する社員、理解しない社員もいる。賞味期限、消費期限を意識すべきなのだ。

20代、30代、40代には夫々やるべきことがある。それを意識しないと第三者から「あなたはもう期限切れ」で使い物になりませんと宣告を受ける事にもなる。消費社会は選別される社会でもある。価値がなくなったものには見向きもしない社会なのだ。長く賞味期限や消費期限を持たせる為には、知識・経験という最新の添加物と、劣化を補う年齢に応じた「その人しかない」能力が必要なのだ。

社長 三戸部啓之