221号-2015.12.25

[ 2015.12.25. ]

221号-2015.12.25

当社では「ピンチでチャンス」というものがある。
失注やクレーム発生、様々な業務上のミス、当社側の責任でのサービス工事、得べかりし利益、等を起案閲覧し関係部署のコメントを貰うことになっている。「ムリ」「ムダ」を排して業務の効率化を図る事が其の主な目的だが中々浸透しない。勿論、その起案によるペナルティーはなく、出さないことで後日発覚した場合のみ、ペナルティーを課す制度でだ。発足以来、十年近くなるが、未だ本来の機能を発揮しているわけではない。本稿でも何度も書いているが「先輩の知恵を借りる」「暗黙知を形式知に」「全社に水平展開」「見方を変えると見えないものが見えてくる」と本人や組織にとってメリットは大きい。しかし残念ながら、本人の意思に反して表面化したか、他部門からのトラブルで判明するもので、自ら問題意識を持って顕在化させたものではない。現在でも提出件数が社員一人当たり月0.8件に過ぎない。年に1件以下になる。

そもそも日常業務をしていて、自分の業務に「ムダ」「ムリ」を意識しない事がおかしい。
高度な問題意識を持たなくとも、改善するべき事は枚挙にいとまがないはずだ。特に営業系は毎日何かしらの問題が発生するはずだし、プレゼンひとつとっても競合先との比較は常にしているはずだ。「何故受注できなかったのか?」「当社の何がだめだったのか?」「言った言わない…がまた起きた」等々いくらでもある。それが営業のスキルアップにつながるはずだし、競合先との比較が理解できる。其の尊い経験が後輩の指導やアドバイスに生きる。次の商品開発やアプローチにも生かすことができる。当の本人にとっては、格好悪いが失注原因を追求する事が、組織を強靭にする近道だ。

事務系でも「これは工夫の余地がある」「これは止めよう」「こうすれば顧客の誤解がなくなる」等々あるはずだ。短略的に上から目線で「問題意識がないからだ!」「ルーティンワークになっているからだ!」とかで即断すると、思考停止になり真の問題点が見えてこない。このような大上段に構えた指摘だと、相手はどんどん心を閉ざす。「何故・・そうなるのか?」を相手に考えさせないと解決策に結びつかないし、日々の行動に落とし込めない。日常業務の中で比較的外出が多い拠点の営業系のリーダーがチェックする事は難しいが、日報の確認、相手からの電話の内容、業務フローチャートでの進捗状況から問題点を見つけ出す事ができる。訪問・電話の頻度、他部門の社員との話等からもうかがい知る事ができる。情報のアンテナを内外に張り巡らさないと難しい。それもコミュニケーションの一つだが、部下を持った以上、部下の内面的な変化も常に見ておく事が大切になる。そうは言ってもタダでさえ忙しいリーダー職は頭で理解できても難しい。そこで、前期は「提出件数の目標数値」を個人別、拠点別に与えて、一つの目安にしてみた。

つまり質より量に重点を置いてみる事にしてみた。かつ目標件数に到達しない場合は賞与の減額査定項目になるとした。即効果が出た。出す事が評価の減点対象ではなく、出さない事が対象になったからだ。
最近、それを如実に示す好個の例があった。社印の捺印、承認印の捺印について再認識問題だ。そもそも、承認印はいうまでもなく「その内容をわたしが承認した」という意味である。
承認したとは、其の件での結果は全て承認した者が負うということでもある。通常、会社組織では稟議制という制度をとっている。これは各関連部署が夫々の知見に基づいて判断を下すという日本独特のものだ。これについては欧米諸国から個人責任が明確でなくなる、決済までの時間がかかる等の批判があるが、ここでは事の是非は一応除外する。

 稟議制に基づき各部署が承認し捺印したということは、捺印者全員が平等に責任を負担することに他ならない。つまり捺印者全員が連帯責任になる。勿論それは内部的な責任であり、対外的な責任は代表取締役が取ることになる。「直接の部署が捺印したから」「上司が承認したから」の承認印は免責にはならないことに注意しなくてはいけない。だから自分に関係の無い内容には捺印しないという選択肢もあるが、もし後日関係があると、そういう事態を予測しなかった責任は逃れないし、事実関係を把握していなかったという批判も逃れられない。その場合でも、回覧してきた以上その部門の立場で判断しなくてはいけない。会社という組織で働く以上、基本的には部門を問わず団体責任が原則だ。会社がつぶれてしまえば全て一巻の終わりだからだ。とくに今回は念書に相当する書類だから尚更だ。中小企業では其の多くが経理は経営者の奥様か身内の人間が担当しているのも理解できる。実印は勿論、銀行印も他人には任すことが少ない。小規模事業所では決済事項や入出金も業務に差しさわりがないだろうが、ある程度の規模になるとそうはいかない。捺印管理者が経営者と同じ判断を求められている。だから任せられるのだ。

当社では捺印は捺印申請書を要求している。しかも金額・内容的承認区分もある。ところがこれが形式に流れ、急ぎだから詳細書類を後日に用意するからとか、最悪の場合は担当部所長の指示で内容も吟味せず安易に捺印しているケースが見られる。これは判断資料が無くても承認しろというに等しい。これ以上の無責任は無い。とくに印鑑保管部署の社員の責任は重い。

 ルールというのは組織のノウハウだ。色々な失敗やリスクの防止から出た規則だからだ。ルールを無視するのは今までの経験・ノウハウを無視するに等しい。勿論ルールも不変ではない、不具合が出たら組織の合意で改正する必要がある。それまでは当然ルールを守る必要がある。

捺印管理部門は自己の立場でその是非を判断しなくてはいけない。内容に納得性が無ければ否認や再提出もありだ。それが自己の責任を全うしているということになる。他部署の上位役職者からの指示でも免責にはならない。通常、管理部門は融通性が無い!のが、担当の気質であるべきだ。
そうは言っても、時間的余裕が無いとか、以前と同じケースだったとかの理由もあるだろう。
「ルールは曲げられない!」しかしこれで一件落着ではいけない。担当者はこの事例の場合でも次回どうすれば営業支援できるのかを考え提案しなければいけない。そのためのツールとして「ピンチでチャンス」がある。通常発生する文言の内容を類型化しそれに準拠している限り、チェックをはずすとか、内容により緊急性を判断できる基準を告知しておくとか、承認区分をより細かく分けるとか、色々な提案や改善が可能であるはずだ。

判断に窮する時は時間をいただくとかも、事前に提示しておけば社内の混乱やトラブルは回避できる。営業がアクセルなら、管理部門はブレーキだ。意見が分かれれば最終判断は社長がすることになる。会社の対外的最終責任は社長にあるからだ。しかし判断に時間を省略できるよう仕向ける事も必要だ。

以前ならこの程度の事項は「見過ごしていた」し「何の疑問も無く捺印していた」はずだから其の効果は大きい。

                           社長 三戸部 啓之