245号-2017.12.25

[ 2017.12.25. ]

245号-2017.12.25

「法の不知は許さず」は近代法の原則である。実社会でも知らなかったで、済まされることは少ない。経験に応じた知識が求められるのが実社会という組織だ。更に高度な注意義務も課せられる。猶予期間というものもある。新卒なら12ヶ月が最低基本業務知識の取得期間と認められるだろう。最低業務知識とは我々の業界では「宅建試験の合格」であり、周辺業務知識の習得だ。

当社では入社3年以内の取得を義務づけペナルティーもある。それに伴い実務も3年経過しているはずであるから通常求められる事案の処理解決能力はあるとみなされる。だから入社後3年は同期の給与はあまり変わらない。変わるのはそれ以後で相当な差が出てくる。3年以上この業界にいれば、これらの知識は教えてもらう否かは関係がない。
どこでも誰でも自分で本を買い学んでいる。自己投資はビジネス遂行の上で当たり前だ。まして予習復習のレベルだ。給与をもらい「教えてもらっている」のにその反対給付がないのはおかしい。教えてもらうには対価が必要だ。義務教育の無償化は営利企業ではありえない。

失敗を共有する「ピンちゃん」自体も「あーだこーだ」という社員では失敗の共有なんてできない。その結果が信用棄損を他人事とする言い訳上手な社員ばかりの組織になる。だれも責めないから平然と在籍し、ことの重大さが理解できない。

今回は「知って当然の知識のないこと」から数百万単位の損害を当社が負担する事になった。
社員の土木知識、関連法規の無知からきている。
普通、いい加減な不動産ブローカーでもない限り最低の建築知識、土木知識はあるはずだ。
この業界に属している以上、建築基準法、宅地造成規制法は必須である。

給排水(特に雨水)、道路、擁壁、法面処理は最低の知識だ。知っていて当たり前の土木知識、規制法規の知識がないから顧客に事前説明もできない。それが当社の信用棄損につながり金銭的損害も併せて起きている。

当の社員だけが「この馬鹿!」といわれるのは良いが、当社がバカ社員ばかりの会社といわれるのは是認できない。一人の不心得社員の為に多くの社員に無能のレッテルを張られ、ビジネスに支障がきたされるのではたまったものではない。
この手の社員がノウノウとしているのは、おかしな組織と周りが見なくてはいけない。

組織責任で終わりにするのではなく、担当する商売の道具としての知識が欠落しているという事である。知らなかったら聞く、調べるという姿勢が当たり前なのだ。アクション一つ起こすのでも、「これで良いのかな?」という振り返りが必要なのだ。これをリスク管理という事もできる。
優秀な社員はミスも少なく、たとえミスしても最小限に抑えることができる。これは常にリスクを意識しているからだ。そして同じ間違いを繰り返さないし、それを組織のノウハウとしてキチンと共有している。
我々の武器は社員そのものであり、その社員の知恵と経験だ。知識のない奴は汗をかくしかない、知識のない奴は顧客に気に入られるように動くことだ! 愛玩犬を見よ! 自然界では一人では生きていけないから、飼い主に如何に好かれようと媚びを売っている。これが自然界で生き延びる原則だ。生きる為に仕事をする意識が薄らいでいる。この意識があれば何でもできるし、一人でも生きていける。弱肉強食は自然界の掟だ、人間だけが忘れかけているのだ。その生きる訓練をする処が会社という組織だと思えば、もっと強靭な精神と貪欲な向上心も蓄えられる。人生の勝者になれるという事だ。

知識がなければ自分で学べ! 無いことを恥じれ! 恥をかくことで人間は成長する。恥をかくことを忘れた社会や組織では、進歩はない。失敗の再発は防止できない。大体必要に迫らなければ学ぶ姿勢が起きない。それは自ら作る事で機会が訪れる。

現場をよく見ろ! そして疑問を持て! なぜそうなるのか?を点検せよ。そうすれば解決策を自ら調べようとする。その蓄積が本人の知識レベルを上げ、顧客の信用を得るのだ。
これをしない社員を業界ではブローカーという。このレベルの社員が当社には多すぎる。だから、何年いても言い訳ばかりうまく中身が空っぽの社員が多いのだ。

宅建という最低資格でもそうだ! 真剣味がないから5年いても宅建に受からない。
理由や弁解は不要だ! 自らの怠慢と愚鈍さを恥じれ!宅建の知識には最低限の業務知識が書いてある。

土地は何かに利用するためにあるのだ。建築するとか駐車場を作るとかである。
当然それらを作るためには関連法規や指導基準がある。
業者任せにして業者の見積もりを価格総額しか検討せず、そのまま顧客に持ち込むレベルが多い。

単価だけのチェックで済まされていないか?数量を確認したか?施工方法を確認したか?こういう工程を含めた総合的な判断とチェックができないと、適正な見積もりはできない。
これでは業者がなぜその見積内容にしたのか?の検討ができないし、他の方法も提案できない。
業者もこんな甘い社員では舐めてかかるに違いない。
間違わないでほしいのは、これは積算担当者や工事担当者の仕事ではない。営業の仕事なのだ。
何故なら、見積もりの提出は営業だからだ。説明責任があるからだ。

以前勤めていたD社は、積算担当のミスもすべて営業の責任だった。顧客に提出する前に何故きちんとチェックしなかったのか、という叱責を受けた。
追加工事の承認を得られなければ営業が穴埋めしなければならなかった。
根切りの人工(にんく)と建て方の人工数が漏れ、施工時に問題になったことがある。
しかも工期が迫り、後がない事態になったが、だれも助けてくれず、その不足分を新入生3名を借り出し慣れない土方仕事を正月にしたことがある。見かねた下請けの社長が最後は手伝ってくれ何とか収まった。
普段から現場の職人たちとコミュニケーションを取っていたことが功を奏した事になる。今から考えれば無茶苦茶な会社ではあったが、鍛えられたことだけは確かだ。

こんなこともあった。ある建築申請で宅造の疑義があるという事で申請がストップしたことがあった。これも申請課の仕事のはずだが、期日までに着工させる責任は営業にあるとされた。
そこである市役所の宅造担当係長(ほとんどが当時は係長行政)に朝一番から日参したことがある。又議員を使い上司の課長から根回しをしたこともあった。
役所の一次決裁者が一番嫌う事であったが、無理押しした結果何とか所定の期日までに許可を得る事ができたが、最後に係長の一言が「役所のルールを守らない会社と君の事は忘れない!」だった。

当時は若いという事もあり、突進だけが取り柄だった。しかし、営業が会社を動かしているという意識は体得した。つまり営業が全責任をもつているという意識だ。入社年次は関係がないし、免責にもならない。顧客に対しても「私が全責任を負います!」というオーラが出ていたかもしれない。
だから教えてもらうという感覚はなかったし、自ら調べ納得するまで現場とも遣り合ったし、知らない事は職人に教えてもらった。逃げが効かない場所にいれば人間は腹をくくることができる。

                                社長   三戸部 啓之