社長の独り言

社長の独り言

[ 2018.2.25. ]

247号-2018.2.25

コミュニケーション3言葉で話せば済む事という常識は、私たちの日常生活でも通用しなくなっている。

コンピューターの端末を見て育った世代は、箇条書きでコンパクトにまとめられた情報を見慣れている。逆を言うと長い文章や書くのは苦手だという事になる。しかも、同じフロアーにいる社員にも直接話すのではなくメールやスマホで連絡し合うご時世だ。対面的会話能力が低下している。
その結果、職場でも言葉のやり取りが原因のトラブルが発生している。

 

当社でも起こった例を一つ挙げると、上司が遅刻を繰り返す部下に対して「朝早く起きられない様なら、会社に来なくてよい」と叱責したところ、それを聞いた部下は、そのまま帰宅してしまった。

「何故帰ったのか」と聞かれると「上司から来なくてよい」と言われたからと答えたそうである。上司が「ちゃんと早起きして出社しなさい」という意図で発言したのは明々白々だ。一昔前なら、「申し訳ありません!」と土下座並みの態度で接したはずだし、これに反発して出社しないのなら、翌日は辞表を持ってきたはずだ。

当然、そうするものと思っていたが、意に反して翌日、ケロッと出社していた為、唖然としたことがある。簡単な注意伝達事項でさえこの始末だ。

性格的な問題はともかくとして、それまでは表面的な意思伝達という面では特に問題は無かった。しかし、最近では上司の言葉半分しか聞かず、「本当に来るなと言われた」と短絡的に解する社員もいる。言われたからそうしたのではなく、まず何故そういう事を言われたのかを振り返り、反省する気持ちがない。この手の輩が増えている。
だから顧客からの要望やクレームも正確にはとらえられない事が多い。まして相手がなぜ怒っているのかもわからない。だから次の手も打てず、後手に回る。
相手の気持ちを考えるという訓練ができていない。何でもないクレームが大ごとになる。
まず、「僕は悪くない、相手がおかしい」となる基準では人間関係も円滑に回らない。

ツイートがよく炎上するのもわかる。匿名性がそれに輪をかける。従来のマスメディアに対してツイッターのようなミドルメディアは、マスメディアの安易で非論理的な報道姿勢を強く批判できる効果は認めるが、「問題点をあげつらう」不自然さは否めない。

「慮る心」という事が流行ったことがあるが最早死語に近い。組織人として必要な資質としてコミュニケーション能力が言われるが、現代は円滑な意思疎通のできる上司が、以前にもまして重宝される時代になっている。一を知って十を知れどころか、一を言って0.5の世界なのだ。その不足がある事を前提に話を進めろという事になる。言うのは簡単だが、実務では時間的にこの手間がかけられない事が多い。一々確認する必要があり、即応性を求められる組織では致命傷になる。これでは臨機応変な戦いにならない。
精鋭というものは目標と手段が明確だから最強なのだ。指揮官は部下に考えさせない。命令も簡潔だ。誤解がない、迷走もない、一点集中ができるから強いのだ。

問題もある。手取り足取り命令すれば状況の変化に部下は対応できないし、一々命令を待つことになる。指揮官は「あそこを攻略せよ」だけでいい。どのように攻略するかは、経験と直感で動かせばよい。機械のように兵を動かしたほうが戦いには有利だとするのは戦前の兵法の基本だった。どこでも初年兵訓錬は「何も考えさせない、命令だけに服従させる」事を徹底させる。組織的規律もそれを是認している。
命令に反する「抗命罪」は死刑を含む重罪だ。旧軍は「復命」を徹底した。上官からの命令を一々復唱した。其れほど指揮命令系統の円滑さは戦いの基本なのだ。

旧軍の問題は最下層に伝達する前に疑問点をフリーに出し合う場がなかった点にある。情報も少なく、単なる突撃精神だけで場面を解決しようとした。それが権威だと錯覚したのだ。
旧軍にはもともと兵種によるエリート区分があり、士官学校卒業時の成績だけが以後の昇進に考慮された。戦線に影響する情報将校は劣位に置かれた。第一線の指揮官の状況判断が優先されるべきなのに、参謀の計画遂行に異議を唱える事は「無能、戦闘意欲欠如」認定された。旧軍のエリート至上主義の悪弊であった参謀がその持ち分を離れ、その指揮命令系統まで介入した事で現場が混乱した。
 指揮官の有能さの違いで戦の明暗が分かれるといわれるが、ドイツ陸軍の参謀本部制度を無批判に導入したことで、旧日本帝国軍隊は官僚機構の中で責任を取らない組織になってしまった。その無責任体制が敗戦につながった大きな原因である。その体制では失敗を検証する事もないから、同じ失敗を繰り返す。米軍で「日本軍の兵士は勇敢だが、指揮官は無能だ」という評価になってしまった。

一方米軍では作戦を立案命令した参謀本部員の戦死者はいない、現場の責任者がすべて責任を取らされた事実が物語っている。だが真因は参謀と大本営陸軍部作戦課にあり、現場と指揮系統のコミュニケーョンが円滑ではない事にある。

しかし、米軍海兵隊という独立組織が旧日本軍の太平洋の島嶼攻略に生み出された事で大いに成果を上げた。陸海空兵站という総合組織である。発足後何回も組織や機能面で見直しもされてきた。一兵種にこだわらずマルチ技能が要求される。
ここには当然人材・人罪はいない。コミュニケーションも円滑だ。米軍との違いが「フォローミー」ではなく「フォローユー」の組織なのだ。しかも退役後もマリーンという家族なのだ。
戦闘で傷ついた仲間を見捨てない、死体も必ず連れて帰る事が使命感や仲間意識を強固なものにする。
死傷率も士官が一番多いのは海兵隊だ。組織の中心になるのは士官を補佐する下士官で経験豊富なベテランがいる。この組織こそ現代の企業組織に忘れられているものだ。

戦後70年、その失敗をまたまた、繰り返そうとしている。戦後の高度成長期、敗戦の荒廃からいち早く立ち直ったのも、国民全員が復興という共通の目標に一丸となって進んだからできたのだ。

しかし、共通の目標をなくした今、意識が変わった、常識が変わった、自分勝手な意見や行動が目立つようになった。自由の名の元に皆が言いたい放題、やりたい放題の世になった。誰も意見を言う事がリスクではなくなった。一昔前なら無頼の輩の集団だ。「落ちこぼれ」も自己責任ではなく環境や社会の責任になった。次々と新しい病名がつくられるようになった。我慢する事もなくなった。言ったもの勝ちの社会では、あれこれ考える世の中では果実を得ることができない。コミュニケーションも不要になった。

 「神様が見ているよ」「神様の罰が当たるよ」「世間様に申し訳が立たない」「世間様に顔向けできない」という社会的規律がなくなり、自省感覚が希薄になってきた。
其の一方で、個人の人権がことさらに強調されたため他人との調整機能もなくなった。「鶏鳴狗盗:けいめい・くとう」という言葉がある。

中国の戦国時代に孟嘗君(もうしょうくん)という君主がいたらしい。一芸のある人を厚遇したせいで食客が集まり、その数、数千人を数えたという。中には何の役に立つ芸だかわからないような特技を持つ者もいた。
孟嘗君が政変に遭遇した時に彼を救ったのは「泥棒のプロと鶏の鳴き声の物まね上手」の二人であった。どんな才能がどういう状況で役に立つのかわからないというのがこの古諺の教訓である。
成果主義・能力主義は「目の前に示された成果に対して即金で報酬を与える」商品交換モデルに基づいているので待つという事が出来ない。時間をかけるとは損失を被ると同義なのである。
終身雇用・年功序列の効用は「育つまで時間のかかる人」を放し飼いにする寛容さが、さっぱり仕事のできない若者がただの無駄飯喰いか大器晩成かは長い時間がたたないと判らないという極めて人間的な感覚を前提にしている。
牧歌的時代を生きた世代と殺伐とした時代に生きている若者との動的平衡は団塊の世代の寿命迄には到来しない寂しさがある。

                                                                                          社長   三戸部 啓之

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