262号-2019.5.25

[ 2019.5.1. ]

262号-2019.5.25

「働き方改革」とは一言でいえば、残業時間を減らして不足の労働力を外国人で補うという事である。

その所得の不足分は副業を企業に認めさせ、補填しようというわけだ。

夫々に問題はあるが、今回このような安直な方法がとられたのは、2016年の電通の女子社員の「過労自殺」が発火点である。あの事件がなければ、働き方改革はこんなに早く実を結ぶことはなかった。大衆の感情は素朴であり、「かわいそう」「かわいい」「おいしい」「楽しいね」の4つに集約され判断される。

今回は東大卒の若い美しい顔写真の女性である。新聞、テレビが大ニュースとして連日取り上げた。大衆は「かわいそうに」と同情し電通という会社や上司を「ブラック企業・人非人」と非難した。更に悪いことに数年前にも男性社員が自殺した事が判明し、何の改善もしていないとマスコミの集中砲火を浴びた。「坊主憎くければ袈裟まで憎い」とばかり、世の経営者の座右の銘とまで言われた「電通鬼の十則」までやり玉に挙がった。

内容自体は何十年も企業内研修でいわれ続けられた心構えとしての本質だが、「・・・・・死んでも放すな!」という字句が気に障ったらしい。かの企業でも手帳に書いてあるこの十則を削除したというから、それを当然として今まで来た社員は一朝にして否定された事に相当面食らっただろう。

歴史を振り返ればこんなことは過去の日本でもいくらでもある。

直近の例でいえば、戦前の小学校の教育は、敵国は鬼畜米英とされ、皇国日本の八紘一宇の障害であった。戦後は、その部分の記述は墨で塗りつぶされ「民主国家アメリカ、欧米に習え」とばかり180度変化した。戦時中は敵性語として英語は日常生活での使用は禁止されたほどだった。敵性語を使用する者はスパイの容疑がかけられ、特高警察の監視対象になった。

歴史的記述によると日本には市民革命というものがないといわれるが、どうしてどうして、この例を持ち出すこともなく、整然と価値観を変えているのだ。それもその時の権力者の一言によってだから欧米人からすれば理解できないだろう。自分たちの権利を勝ち取ったことがないから、失っても実感がない。日本では人権問題は常に犯罪者側にあり、被害者側は放置されている。その企業版ともいえる。居酒屋のワタミのサービス残業から始まった一連の「ブラック企業」追求キャンペーンが、業種の蔑視対象であった三流から一流企業に及んだという事である。区分自体、かつて経団連会長には商品流通業は絶対なれなかった。今でも飲食業は一段下に見られている名残だ。「ブラック企業」のレッテル貼から逃れようと汲々としている企業の苦悩が垣間見える。

政権側からすれば「働き方改革」の本丸である「ブラック企業撲滅」の網に電通が見事に引っかかったという事になる。勿論、発端は内部告発である。先の女子社員の過労自殺の件でも企業側の原因追及のみで、被害者側の事情や環境の背景説明がない。

電通と言えば博報堂と並び高収入で学生の就職希望の上位に入っていた垂涎の企業である。MARCH以下の大学では望んでも入れない企業でもあった。吹けば飛ぶような企業ならいざ知らず、こんな優良企業でさえも起きたことをマスコミは追求するべきであろう。

やっかみ半分で不謹慎かもしれないが、優良企業に入社した事がやめられない理由の一つになっていたかもしれないし、通常母子家庭なら母親の功徳に報いる為にも子供としては我慢するかもしれない。東大卒のプライドが上司の指摘や間違いに耐えられなかったかもしれない。「石の上にも3年」という就労観は親世代に生きているものであったし、無言の圧力になっただろう。

バブル期、栄養ドリンクのCMで流行ったリゲインの「24時間戦えますか・・」「5時から男の、グロンサン」仕事に打ち込めば業績が上がり年収も上がりもっと遊べる。そんな会社との一体感がにじむ、バブル世代の心を捉えたCMだが、母親がその世代の親に教育された年代ならもってもおかしくない。

やはり、ここまでマスコミが取り上げたのは「美人で東大卒の才媛」という事が大きい。人手不足の中で企業はどこでも社員を使い捨てにはできない。例えどんな社員でも簡単には馘首できない解雇制限法理というものがある。しかし、一方の社員はいつでもどこでもやめる自由がある。中小企業で電通の求めている業務を強いたら翌日には辞表をもって来るのが現状だ。

一寸考えるだけで、様々な理由が散見されるが、個々の究明が全くされていないのは、公平に見ても首をかしげる。マスコミが大好きな社会的弱者救済という位置づけなら、一方的に社会的強者である企業を糾弾するのはインパクトがあるし社会正義を標榜する価値観とも一致する。ましてや、天下の電通じゃ、晒し者にするニュースバリューは大きい。マスコミの弊害はつとに指摘されるところだ。A新聞はその手の追求には執念深いし、度々フライングもする。慰安婦問題しかり、加計問題しかりだ。

新聞も最近は購読部数も減っているそうだし、Y新聞などA新聞の失点で数十万部A新聞の読者が寝返ったと噂されている。サヨクのA新聞、ウヨクのS新聞、やや右よりのY新聞の位置づけから見ればそれぞれの特徴を踏まえたうえで読む必要がある。新聞の編集者にも書いた記者にもバイアスはあり、真実は闇の中だ。日本の指導者も欧米を席巻する大衆迎合のポピュリズムに侵され、政権にとり都合の良いマスコミ報道は強調される。

経済が絶好調の日本に海外から「働きすぎ」の批判が集まり政府は92年「生活大国」実現への5ケ年計画を閣議決定、労働時間は年間1800時間に押さえるとした。実際に93年に1920時間だった年間労働時間は2016年には1724時間迄減った。

OECDの調査による「世界各国年間平均労働時間ランキング」で加盟国35ケ国の平均が1766時間、ドイツやフランス等ヨーロッパ各国は1400~1500時間が多く、イギリスが1682時間、イタリアが1723時間である。働きすぎと言われる日本は1724時間でイタリアと同等である。アメリカ1787時間、ロシア1978時間、韓国2113時間でインドや中国の人口大国が不明なのは残念だが、日本はヨーロッパ諸国に見習って休日を増やし労働時間を減らしてきた。それに更に追い討ちの「働き方改革」である。

日本では近年問題視されている過労死、過労自殺等を深刻に受けとめ、ついに国会は「働くな法」を成立させた。ガレー船の船底に鎖で繋がれて櫂をこぐ奴隷と違い日本の社員は鎖に繋がれているわけではない。通常、時給計算にプラスした額のお金をもらって働いているし。昨今の売り手市場で20代の若者なら今の少子化時代では選り好みしなければ仕事場はいくらでもある。今の親なら「そんな事でどうする、そんなひ弱に育てた覚えはない、我慢しなさい!」とは言わない。2つ返事で転職を承諾する。

三大欲求がすべて満たされている国は衰退するのは自明の理だ。今に始まったことではない。草食系の若者が多くなり、少子化、晩婚化が一般化した。その上就業人口の減少が国力を更に衰退させる。脆弱な働き手を前提にした就労構造が課題になる。

総合職等出世競争を強いられる社員は2400時間を超し、一般職でも2000時間が常態化していた。若者たちはこうした企業社会に見切りをつけ、休暇制度で会社を選ぶようになった。国会等でも労働時間の長短やオンオフの比率ばかりが議論になる。極め付きはインターバル制度だ。仕事と仕事の間の空き時間迄介入しだした。

仕事と会社は、苦しいもの辛いものと捉えるのは宗教的贖罪思考だ。「脱会社人間」の働き方の模索が始まったのも平成なのだ。「誰が誰のために」言い出したのかも振り返る必要がある。

                             社長   三戸部 啓之