269号-2019.12.25

[ 2019.12.1. ]

269号-2019.12.25

組織改革があった。
全社的な大きな変更は過去2回だが、事業部内での変更は延べ5回になる。

変更には様々な理由があるが、社内外に混乱があるのは否めない。
費用もかかるが、組織機能不全という病巣は摘除しなくてはならない。通常、組織をいじるのは最終手段となるはずだが、往々にして最初に組織をいじりやすい。
そもそも、目的遂行手段として組織があるはずだが、恣意的に人事をいじる弊害がよく起こる。人事という最高の権力を行使する甘美な魅力は捨てきれないらしい。これは大手中小を問わず起こりえる。秘密主義がそれの拍車をかける。
企業により、オブラートに巧妙に包むのでその真意は計り知れない。

懲罰人事や報復人事、情実人事があるが憶測するしかない。2段飛びや松下電器のように13番目の取締役からの「山下跳び」人事もある。組織の論理というものはどうしても避けられない。誰もが納得する人事というものは中々起こりえないし、サプライズ人事も会社の変身PRとして使われる。

当社でも組織変更に伴い、社員の異動も起きた。
当社のような規模では、社内の流動性はかなりの力仕事になる。建前上は社員のスキルアップのために定期異動は賛成なのが、いざ自部門になると様々な理由をつけて拒絶する。
大手のような人材が豊富にいるわけではないので異動は基本的に他部門とのバーターになるが、
子飼いで優秀なら中々放出させないし、それで自部門の実績が下がれば自己責任を問われるからだ。

営業はもちろん、内勤事務部門でも内勤内異動でも言い続けて3年たったが、マダマダ不十分の異動に過ぎない。当社では同一部門で3年、低迷している社員は一応異動の対象になる。
ルールはあるが、やっとどうにか動き出したレベルで、囲い込み人事は健在だ。独立採算事業部制の弊害ともいえる。ダイバーシティ社会と言われて久しい。多様な人材でチームを組み従来の延長線上ではないイノベーションを起こせという。別に今言われなくても日本の同質性社会は幻想に近い。

当社でも外国出身の社員は2名いるがかえって古典的日本の価値観を持っており、絶滅危惧種に近い。今の若者は外国人というより宇宙人に近い。従来の価値観や就労観はないに等しい。組織のリーダーは様々な人材をまとめなくてはならないので、気苦労は想像を絶する。

中国ではリーダーの心得として「用人不疑、疑人不用」という諺がある。「使う人を疑わず、疑う人を使わず」という意味だが、その本質は、信用できない人を信用するふりをして使いこなし、どうしても使えない人材を外せということだ。こうした過程で起きた心労は経営者としての成長の肥やしにするしかない。日本では厳しい解雇法理の適用があるため、米国のように「君は使えない、今日で首だ!」とは言えないジレンマがある。だから法に抵触しない範囲で円満に「使えない人材」を自己都合退職にもっていかなくてはならない。そのスキルがないと日本では有能な管理職とは言われない。腐った「リンゴ理論」のように早めに排除しないとかごの中にあるリンゴが全部腐敗してしまう責任を負う事になる。

中国のファーウェイの人事制度は高給だが、社員の5%が定期的に淘汰され、更に45歳退職説もあるそうだ。更にマッキンゼーは毎年社員の20%ずつに転職指導しているとの事。もはや「和をもって尊しとなす」「みんなは一人の為に、一人はみんなの為に」という日本的な平等主義で社員全体の報酬を抑えるのは、怠慢経営者のエゴでしかないという風潮も最近強い。「働かざるもの、食うべからず」の原則にのっとった正論だ。こういうことが憚られることなく言える社会は真っ当だ。

最近女性の進出が盛んだ、当社でも例外ではない。2/3は女性だ。選定した結果がたまたま女性だったと言うわけだが、贔屓目に見ても女性は総じて優秀だ。特にパート社員の女性は極めて優秀な人が多い。前職も一流大企業OGが殆どだし、家庭、子育て、仕事と男性に比べ相当のハンデを抱えているにかかわらず仕事のパフォーマンスは高い。肉食系女子が増えたこともあるだろうが、管理職も増えた。男性社員の奮起を促したいものだ。
しかし雇用の上で女性特有の難しさもある。

「女性が仕事を続ける為には理解ある上司が必要」とUBS証券は2014年12月から月一回必ず午後4時には退社する「マイデー」を開始、仕事と生活のバランスを意識させ、部下の生活に気を配るようにする。「上司と部下が一対一で向き合う」ことで夫々の意識改革が進む。チームの構成員である以上、それぞれのパフォーマンスを最大限発揮させるためには「チーム内の気配り」がポイントだ。男性も同様だ。自主性を発揮してもらうためには「独裁的にああしろ、こうしろ、とやらせることも、組織を立ち上げた最初の段階では必要だ。しかし、最初から放任で『何をやってもいいよ』というスタンスは、指導ではない。 思考の枠がないから自分で考えることができない。
これでは構成員の自主性をはぐくむことはできない。 これはJリーグのある監督が言った言葉だ。「練習前にみっちりミーティングをやって事細かに説明するのではなく、最初に選手自身にやってもらうことを、僕は大事にしています。監督が『ミーティングで言ったことができてないじゃないか』と声を荒らげるよりも、『こうやってやることもできるよ』と指摘したほうが、頭に入りやすいと思うんです。伝えたいことは同じでも、選手側の温度とか空気を考えて、伝える情報のタイミングと量を変えていくのです」 彼のミーティングには「なぜ、それが必要なのか」という問題提起がある。 「それによってチームにどのような利益をもたらされるか」という理由が明示される。ミーティングが儀式化されずに、問題意識や課題の共有が進んでいく。

ハロルド・ジェニーン(元米国巨大企業ITT会長)も言う。究極の目的は勿論実績だ。
「実績のみが君の自身、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが君自身として成長する自由を君に与えてくれる。覚えておきたまえ、実績こそが君の実在だ。他のことはドウでもいい」と明確だ。

P・ドラッカーがさらに言葉を重ねる。
「信用してはならないのは、間違いをおかしたことがないもの、失敗したことがないものである。そのようなものは無難なこと、安全なこと、つまらないことしか手をつけない。そのようなものは、組織の意欲を失わせ士気を損なう。人は優れているほど多くの間違いを犯す。優れている人ほど新しいことを行うからである。意欲、自主性、チャレンジは個人の内部性の問題だ。」

人生は見たり聞いたり、試したりの3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり聞いたりばかりで一番重要な試したりを殆どしない。ありふれた事だが失敗と成功は裏腹になっている。「皆失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない」と本田宗一郎も言う。今の企業社会にも、空虚な評論を並べ、分析を訳知り顔で語る人間が多く見られるが、評論も分析も新しい知を生まず、何の価値も生み出さない。

高いハードルを飛び越えたり困難な課題に取り組んだりする意欲を支えるのは、自分はこれだけできるというプラスのセルフイメージだ。思考の枠組みもポイントだ。大きな池の小魚より小さな池の大魚のほうが良好なセルフイメージが持て、やる気も自信もでてくる。自己変革こそ全ての源泉という事になる。

                                                                                                社長  三戸部 啓之