279号-2020.10.25

[ 2020.10.1. ]

279号-2020.10.25

最近、パワハラが問題になっている。


特に注意しなければならないのは、勤務時間外の行動だ。退社後の上司との飲み会や、社員旅行などでのケースがある。朝礼等で「羽目を外すな!」「無理強いはするな!」と注意はしているが、よく羽目を外す例がみられる。

 

若い社員だけでなく分別もある中堅社員でも起こりうる。特に酔いの勢いで周りが煽情的になる事もコトを大きくしている。幸いにも今迄大きな問題は起きなかったのであまり意に介さなかったが、最近「人格権の侵害」を理由に、直属の上司が不法行為責任(民法709条)を負い、会社も使用者責任(同715条)を負う可能性が出てきた、なお一層の注意が必要だ。

しかも、ネットで「パワハラ」と検索すれば専門家を自認する弁護士、社会保険労務士の宣伝広告が目白押しだ。微に入り細にいり、「いかに金銭が取れるか」が書いてある。具体的には、上司や会社に対し、精神的苦痛に対する慰謝料、医療費、(退職を余儀なくされた場合は)逸失利益(退職しなければ得られたであろう賃金相当額)などを請求することができる。認められる慰謝料額は、60万~100万円というのが相場で、加えて弁護士費用が50~100万かかるとされている。個人ならいざ知らず、「相手が企業なら殆ど取りっぱぐれがない」と格好の好餌とばかりのビジネスになっている。糾弾されても致し方がない超ブラック企業も存在するが、訴えられた企業の大多数は家族的な中小企業である。大手に比べれば福利厚生は足元にも及ばないが、大手にはないアットホームで良い点が多いはずだ。

そうは言っても最近の若者からすれば、昭和の遺物のような対応に反感があるかもしれない。団塊の世代が経営者に多く世代の断絶もある。かつて丸善石油・小川ローザの「おお、モウレツ!」や、栄養ドリンク剤の「24時間戦えますか?」や「5時から男の〇〇」、が当たり前の世代になる。いずれも1969年~1989年に話題になったテレビコマーシャルで、流行語大賞を受賞したものもある。つまり高度経済成長時代の価値観にピッタリ合致したフレーズで、誰も違和感を持たなかった。それに刺激されてCMの様に身を粉にして頑張ってきた世代なのだ。勿論、当時も一部サヨクがかったマスコミや団体は、資本家階級の労働搾取という言い古されたアジテートで糾弾し続けていたが、大量消費社会の恩恵を受けた大多数の国民は、レジャーに消費に明け暮れて、意に返さなかった。それは「平成バブル」と言われる1986年から1992年までの時期でもあった。

1992年2月からデフレ経済に突入し現在に至っている。その間には局地的なミニバブルも起きたがデフレ傾向は揺るがなかった。バブルによる不良債権処理が峠を越した矢先、2008年リーマンショックによる世界的な金融危機がおき、景気回復の兆しも一瞬にして雲散霧消してしまった。以後景気低迷が続いている。平成バブルから28年で国民の価値観がコペルニクス的転回という未曽有の変化が起きたのだ。戦前戦後の価値観の変化と遜色がないくらい見事に変わってしまったのだ。封建主義(家父長制)から民主主義(個人主義)へと同じように、「身を粉にして働く」から「あまり働くな」の変化だ。

職場も教育現場も上下関係はなく対等の関係になってきた。教える人と教えられる人は対等になったのだ。売主と消費者の関係になった。金銭にすべてが置き換える対価関係になった。当然、要求は「教え方の拙劣さ」が問題になり、結果が悪ければ教え方が悪いとなる。労働現場でも同じで、できないのは「教えていないから」「教え方が悪い」という反論が成立する。教えられる立場の義務がないから、全て教える側の責任になる。できない社員でも解雇制限法理が立ちふさがり容易に解雇できないし、強制力を持って教えようとすれば即パワハラと糾弾される。

国も2020年6月からパワハラ関連防止法を施行した。ただし当面は大企業が対象になるが、実務解釈の上では我々中小企業にも適用基準になる。職場におけるパワハラを以下のように決め企業に対策を求めた。

  1. 関係に基づいて(優位性を背景に)行われること。 
  2. 業務の適正な範囲を超えて行われること。 
  3. 身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること。

これを踏まえ、厚生労働省はパワハラに関する6つの行為累計毎に労政審に指針案を示した。

①「身体的な攻撃」の類型では、「ケガをしかねない物を投げつける事」はパワハラとした一方、「誤ってぶつかる、モノをぶつけてしまう等によりケガをさせること」は該当しないとした。

②「精神的な攻撃」はマナーを欠いた言動や行動を何度注意しても改善しない場合に強く注意してもパワハラに該当しない。

③「人間関係からの切り離し」新規採用者の育成で、短期集中研修など個室で実施するのは該当しない。

④「過大な要求」育成のため少し高いレベルの業務を任せるのは該当しない。

⑤「過小な要求」労働者の能力に応じ、業務内容や量を軽減するのは該当しないとなっているが、特に線引きが難しいといえる。管理職の労働者を退職させるために、誰でも遂行可能な業務を粉わせる事をパワハラに該当するとし、「経営上の理由により、一時的に能力に見合わない簡易な業務につかせる事」は当てはまらない。

⑥「個の侵害」社員への配慮を目的として、思想・信条を理由とし、職場内外で継続的に監視したり他の従業員に接触しないよう働きかけたり、私物の写真撮影をしたりすること。家族の状況等についてヒアリングを行うことは該当しないとする。(②、③に該当しないため)

こうした内容に労政審の委員や日本労働弁護団からは「実効的なパワハラ防止策となっていないばかりか、むしろパワハラの範囲を矮小化し、労働者の救済を阻害する」と指摘がある。学者先生や人権派の弁護士先生の意見には反論ができないが、実務家としては大いに異論がある。

資本主義という競争社会に存在している営利企業という前提で考えれば、ある程度の強制は必要だ。しかも、逆パワハラという現象も出てきた。教育や指導を行っていた管理職が反対にパワハラという理由で部下に追い込まれる現象だ。こうなると組織は機能しない。我々は、会社組織という団体で弱肉強食の世界にいる。組織には規律があり、一定の強制がある。弱肉強食の世界とは競争社会で、生き残るものと脱落するものが出る世界だ。落ちこぼれを救済するのは企業ではない。

セーフティーネットは国家の責任だ。多くの日本人は「競争社会」と言う言葉を否定的にとらえる。「弱肉強食」「人間性を歪める」といった負のイメージを想起するからだ。しかし、競争がなくなれば、例えば、携帯電話の料金が高くなる。物価は恣意的に上がる。利便性を追求することもなくなる。進化する社会を否定することになる。競争で一人ひとりは自分の長所を見つけることができる。競争から逃げていては、社会は衰退してしまう。人類が安全で豊かな世界を築いてきたのも、それぞれの分野で競争してきたからだ。速さを追求したから馬車から車に飛行機になった。他より優れたものを作らなければ、競争に敗れるという危機感が発明改良を促す。競合先に負ければ淘汰される。決して安泰ではない。企業という組織体に所属しているにもかかわらず、強制・規律をないがしろにする言動は看過できないのは当然だ。体制内にいながら内部から弱体化するような言動は自己矛盾にある。自己防衛のためにも生存するためにも強制を甘受しなければならない。

一人前になるまでは我慢が必要だという事だ。「石の上にも3年」という諺も遠い過去になった。

企業側から解雇という排除手段がなく、一方退社する手段を法的に擁護されている組織形態自体、偏頗な組織というべきだろう。これでは屈強な組織にならない。屈強な組織は排除と忍耐が必要だ。
 こんなデータもある。運動会で徒競争をしても順位を敢えて付けないと言う「反競争的な教育」を受けた人たちは、どうなったか? 実は他人を思いやる「利他性」が低く、やられたらやり返すと言う価値観を持つ傾向が高いと言う分析結果がでている。協力する心をもたらせようと考えた教育が、能力は皆同じと言う発想となって子供に伝わり、所得の低い人は怠けているからだと言う発想を植え付けてしまった可能性がある。

天に唾を吐くような事態になる由々しき社会になった。    

                  社長   三戸部 啓之